プレゼントのあり方

一年で一番あわただしい時期が過ぎ、また体調も復活し出して、やっとほっとできる感じのこの頃ですが。その、「一年で一番あわただしい」クリスマスを終えて、今年もまた思うことは同じ。

「プレゼントって、そういうもん?」、ということ。

というものですね、私はアメリカ流の合理的主義な贈り物の仕方に、常々疑問をもっているのですよ。なにかというと、「ギフト・レシート」とかいった類のモノと、人からもらったものを「股渡し」する行為。あ、ただ、この「股渡し」行為は、もちろん皆がそういうわけではないと思います。が、一般常識として、「別にいいんじゃないの」という認識が成り立っているわけですから、ほとんどの人は特になんとも思わないことなんじゃないかなぁ、と思う。

で、まず、最初に挙げた「ギフト・レシート」という奴。アメリカではたいていどんな店でも購入した際のレシートを持参すれば、基本的には返品、交換などが可能です。これは、例えば自分で買った洋服のサイズが合わなかったとか、やっぱり気に入らなかったとかいう場合に、とても便利なシステムなんですが、それを人様からいただいた贈り物(つまり自分では払ってはいない)でも返品、交換を可能にしちゃうのが、この「ギフト・レシート」なわけです。つまり、ギフトでいただいたものにこのレシートがついていた場合、もらった側がそれを持ってその店に出向けば、それ相当の品物に交換してくれるか、あるいは返金すら可能になることも。

でもそれって、なんだかね〜、哀しいような気がしませんか?まず、私が受け手ならば、贈ってくれた人のことを思うとできない行為だと思うんですよ。だって、仮に自分の趣味に合わないような代物であっても、送り主はきっと私のことを思って、一生懸命選んでくれたものだと思いたいからです。自分では選ばない色のセーターをもらったとしても、もしかして彼は(あるいは彼女は)「この色はあの人に似合うかも」と思って選んでくれた、と、信じたいからです。だから、贈り物にこのギフト・レシートが入っていると、なんだか「どうせ交換するんだろうから、適当に選んじゃえ」なんて思われたんでは?と深読みすらしてしまう。逆に、自分が送り主だった場合には、こんなレシートなんて絶対に添付したくないなぁ。だって、私は一生懸命その人のことを思い選んだ品物なんだから、後で返品なんかして欲しくない。「股渡し」もね、同様です。自分で気に入らないものを、人にあげるプレゼントに使っちゃおうという発想。もちろん、差し上げた先でとても気にってもらえるかもしれません。が、先のレシート同様、それをあなたのために選んでくれた人の気持ちはどうなるの?というのが、納得いかないのです。

と、いうようなことをオットにグダグダ言ってみたら、「でもさ、自分の要らないものがどんどんクローゼットに溜まっていくことほど、スペースの無駄使いはないんだよ」ときた。確かに、私のクローゼットにも心当たりはあるのだけれど、「でも、じゃぁさ、後で『あれ気にってくれた?』なんて聞かれたときに、どう答えるのよ。まっさか、『好きじゃなかったから、返品したよ』とか、『隣の人にあげたよ』なんて答えられないでしょ」と言うと、「いや、そうはっきりは言わないにせよ、『もらって嬉しかったけど、ちょっと趣味に合わなかったよ』とかなんとか言うかな」だとさ。さらに「しかも、そうやって、自分の趣味を相手に知らせていかないと、どんどん、どんどん、趣味に合わないものばっかりが溜まるだけだし」とまで。そういうもん?

クリスマスの翌日からは、もうどこの店でも「返品、交換カウンター」が特設されて、すごい列になります。それを横目で見ながら、私は心のなかで「偽善者たちめ」とささやかな抵抗。だって、簡単に想像できるもの。クリスマスのパーティの席では、「わ〜〜〜、これ素敵、ありがとう!!」とか言いながら包みをやぶいていたのであろうに、それが翌日には特設カウンターに並んでいるのだから。

でもね、そうは言いながら、確かにまた今年も「クローゼットの肥やし」が、ひとつ、ふたつ…。オットは気楽に「返品すればいいさ」と言いますが、「いや、私はこれはとっておく。そうして、いつか、『ああ、これはあの年にもらったんだよなぁ』と懐かしむんだ」と頑固に言い張る。う〜〜ん、でもどうしようかなぁ。この、「猫の柄のついた靴下」、困ったなぁ(苦笑)。