「命」を考える
先日、オットの所用に便乗してフィラデルフィアに滞在した時のこと。ムスコと一緒に出かけたフィラデルフィア動物園で思いがけず、陸に住む大きな亀の交尾のシーンに出くわした。
ちょうど爬虫類の展示をしている建物から出てきたところで、ものすごく大きな声(音)が聞こえ、何だろう?と行ってみたらそういいうことだったのだ。
事態が分かるティーンはきゃっきゃと悲鳴を上げながら面白がって見物しており、孫を連れた老年のご夫婦は「やれやれ」という表情で私に苦笑いしてきた。そして我がムスコは「レスリングをしているの?」と思ったらしい。
私はというと、なぜだか、とても感動していた。
小さい頃、NHKかなにかの教育番組で、亀のお産シーンというのを見たことがあった。夜、暗くなった頃、メスは一人でせっせと深い穴を掘り、そこへ何百という数の卵を産み落とす。静かに涙を流しながら、全身の力を振り絞って卵を産み続ける様は心にぐっとくるものがあり、晴れて卵がかえって小亀達が波にさ〜っとさらわれて海へ消えていくシーンには、拍手を送りたいほどだった。
今回のシーンはそれとは全く対照的であった。オスは大きな口を開け、うめき声にも似た声を挙げながら、よだれをタラタラと流しつつ、一生懸命にメスの上に乗っていた。「亀の声」は初めて聞くものだったし、「亀が声を出す」という事実にも驚きがあった。さらに、亀というのは、いつもゆっくりのっそり歩いているものだと思い込んでいて、私の中では「静」のイメージしかなかったところへ、この力強い「動」の亀を目の当たりにしては、正直ちょっと意外な感じもあった。
けれどそれは、命を作り出す行為というものの本来あるべき姿、そのものだったと思う。それは快楽などというお気軽なものでは決してない。上手に表現できる言葉が見つからないのがもどかしいが、神聖で、繊細で、かつ力強くて、命の重たさ、命の尊さが見てとれるようなそんな姿だった。自分の子孫をこの世に残すために、自分たち種族を絶やさないために、必死に命を繋いで行こうとする、生に対する力強い執念が見えた。
実に感動的だった。
ずっとそこにいたいほどだった。
私はすっかり心を揺さぶられていた。
この世の中のすべての「命」に感謝したいと思った。
そして私はムスコの手をしっかり握りしめた。