歴史に別れを告げるとき

我が家と隣家の間にそびえていた、樹齢恐らく160年くらいのポプラの木を切り倒すことになりました。というのも、上の方の幹が枯れている(死んでいる)箇所がいくつかあって、強い風が吹くたびにそれがものすごい音を立てて地面に落ちてくる、ということが最近多くなったからです。
インスペクターの人に見てもらっても、かなり危険な状態だというし、万が一家に当たって、なんてことになったら大変。この木がここに立って、見守り続けてきたその歴史の長さを思うと、本当に心が痛むのだけれど、この木ももう十分長生きしたことだろうと言い聞かせて、つい最近越してきたばかりの隣人と折半で業者に作業をお願いしました。

「こんなに大きなポプラはあまりみない」と業者の人がいいました。夏の間は心地よい日陰を作ってくれるのだけれど、花が咲いて実がなった後は、それが我が家のドライブウェイを多い尽くし、さらに秋になると枯葉がどっさり舞い降りてきて、それはそれは掃除が大変だったなぁとしみじみ思う。
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夕方にはこんな有様に。でも景色がかなりすっきりした感じ。
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そして2日目、ものすごい音と共に大木が倒されて・・・
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後は、株の部分を掘り起こすのだそう。
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ところで、我が家の隣家は、1度火事になって、その後6年くらいずっと空き家のままだったのです。家の外側は修理されてはいたものの、中側は火事の後のそのままの状態で、それが去年の秋に持ち主が代わってから大修繕が始まり、この度晴れて新しいお家となって生まれ代わりました。
この家と、我が家は、そもそもストーン兄弟という、地元で事情を営んでいた家族が建てたもので、上の木を挟んで建てられた両家は「ミラーハウス」でした(片方の家を鏡に写した様が、もう片方の家となる)。
家は人が住んでこそ、家として機能する。きっとこのお家も、やっといいオーナーの手に渡って喜んでいることと思います。

一方の私は、ずっと無人の隣家に慣れていたので、新しいお家で夜に電気が着いていたりすると、なんだかそれが気になって仕方がない。つい覗いてしまいたくなるような・・・(笑)。