『SMAPは昨日死んだ!』

別にファンじゃないんだけど、結構衝撃的なニュースだったので、なんかあるんだろうと思ってはいたけど。
4人とも、なんか泣き出しそうな雰囲気だし、特に中居君、憔悴しきってる感じでかわいそう。そしてそれとは対照的な中央の方…。どうなるんだろうね、この先。

 

SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の緊急生放送を受け、マスコミは一斉に「スマップ存続へ」と報じている。共同通信が第一報をうち、裏番組の『報道ステーション』(テレビ朝日)、『NEWS ZERO』(日本テレビ)までが「解散回避」「存続」を報じた。

 また、今朝のスポーツ紙の朝刊も一斉に「SMAP、5人で存続宣言」「SMAP「空中分解」回避」「キムタク前向きに」と大きな見出しを打った。

 しかし、あの映像を見て、なぜこんなノーテンキな報道ができるのだろうか。実際、ネットはマスコミと対照的な声であふれている。「あんなの本当のSMAPじゃない」「SMAPの葬式みたい」「4人の表情が死んでる」「ジャニーズ事務所、恐ろしい」……。

 正直、本サイトにとってもあの生放送の中身は意外だった。実は、放送前はてっきり“がっちり握手”“涙、涙の大団円”という茶番劇でも見せられるのだろうと思い込んでいたのだ。

 だが、映し出されたのは茶番劇どころか、放送事故寸前の異様な光景だった。なぜか木村拓哉がセンターで仕切り、他のメンバー4人が一人一人謝罪させられていく。表情は神妙というよりうつろで、口から出てくるのは「申し訳ありませんでした」「これからもよろしくお願いします」という言葉だけ、誰一人「SMAPは解散しない」「ずっと一緒にやっていく」とは言わない。

 とくに異様だったのは、リーダーの中居正広だった。通常なら仕切り役のはずなのに左端にいて、最初にグループとしての第一声を発するのでもなく、最後に全体をまとめることもしない。ため息をつき、絞り出すように謝罪の言葉を口にするのがやっとだった。

 そして、この中居と好対照だったのは木村だ。第一声から締めくくりまで、この生放送を取り仕切り、他のメンバーと違って一切謝罪の言葉を口にしなかった。これはつまり、今回の生放送が、SMAPとしてファンに対し謝罪するものでなく、4人に事務所や関係者へ謝罪をさせるための儀式だったということだろう。

 草彅剛が「木村くんがジャニーさんに謝る機会を設けてくれて、僕たちはいまここに立てています」と言わされていたが、キムタクは明らかにジャニーズ側の人間として4人を支配していたのだ。

 そんなところから、ネットでは、キムタクがジハーディ・ジョンで、4人が人質で公開処刑されている、という悪趣味なアイコラまで出回っている。

 しかし、なぜ4人が謝らされて、キムタクが大きな顔をしているのか。本サイトは何度も指摘してきたが、そもそもSMAPを解散の危機に追いやったのは、飯島三智マネージャーでも中居ら4人でもなく、木村とメリー喜多川副社長のほうだろう。

 改めて解説しておくが、今回の独立劇は、いま報道されているように飯島氏が「密かに独立を画策した」というような話ではない。昨年1月、メリー氏が「週刊文春」(文藝春秋)のインタビューに応じた際、飯島氏を呼びつけ、「SMAPを連れて出て行け」と面罵したことが始まりだった。

 そこで、飯島氏が独立を考えざるをえなくなり、会社側と正式に交渉。昨年8月時点で飯島氏とともに5人そろって円満独立することになっていた。ジャニーズ事務所側も双方納得のうえ、移籍先もバーニング系のケイダッシュと決まっており、権利関係の配分など、弁護士を立てて細かい条件を詰めている段階だった。

SMAP」というグループ名についても、独立したらジャニーズの許可がなければ使えないのに、中居らはそんなこともわかっていなかったなどと盛んに報じられていたが、使えるようにするということで話はついていた。

 キムタクは一貫してジャニーズ残留でブレていないなどと報じられているが、この時点ではキムタクははっきりと意志は表明していなかったものの、独立を前提としたキムタク関連作品の権利配分についても話し合いがなされていた。

 ところが、12月になって、突如、キムタクが「ジャニーズ残留」を言い出す。キムタクの翻意のため、「5人一緒に円満退社」という前提で進んでいたSMAP独立計画は土壇場で崩壊。飯島氏はもちろんのこと、4人も行き場を失ってしまったのだ。

 つまり、SMAPがこういう状態になったのはすべてキムタクの責任であり、謝罪すべきはキムタクのほうなのだ。

 しかも、キムタクの翻意はSMAPジャニーズ事務所の間で悩み、板挟みになっていたという話ではない。実は木村はかなり前から、メリー喜多川副社長と通じ、連絡を取り合っていたフシがあるのだ。

「飯島さんやSMAPがメリーさんから疎まれている中で、木村さんはひとりメリーさんと妻の工藤静香さんもふくめ家族ぐるみの付き合いをしていました。そういう関係になったのは、静香さんがきっかけだったようです。静香さんは当初、メリーさんから結婚を反対されていたんですが、結婚後、必死でメリーさんにアプローチをし続けた。その結果、メリーさんに気に入られるようになり、他の4人には内緒で、定期的に食事したり、家に呼んだり、行ったりするような関係になったようです」(ジャニーズ事務所関係者)

他でもないメリー氏自身がそのことを証言している。昨年1月、メリー氏が飯島氏に「SMAPを連れて出て行け」と面罵したことで知られる「週刊文春」のインタビュー。実はこのインタビューで、メリー氏はこんなことを話しているのだ。

「私、SMAPの誰とは言いませんけど、今でもお家へ遊びに行くし、食事に行ったり、美味しいものがあったら届けていますよ」

 この“家にまで遊びに行く相手”というのが木村だった、ということらしい。だとすれば、この独立話についても、最初からメリー氏に報告していたと考えるのが妥当だろう。

「メリーさんは、飯島さんや中居さんたちの動きを全部把握していました。今から思えば、全部、木村さん、静香さんから筒抜けになっていたということでしょう。木村さんは最初から、中居さんたちと合流する気なんてなかったのかもしれない」(前出・ジャニーズ事務所関係者)

 たしかに、SMAP存続を考えていたというのなら、最初から残留を表明し、飯島氏と4人を説得しておけばいい。しかし、キムタクは態度をハッキリさせないまま、説得をした形跡もない。そして土壇場の12月半ばという最悪のタイミングで独立話をひっくり返したのである。

「これも、メリーさんが突然、気が変わり、『絶対に独立なんてさせない』と言い出した時期と一致しています。木村さんがぎりぎりまで態度を表明しなかったのも、メリーさんが途中でひっくり返すということがわかっていたからかもしれません」(前出・ジャニーズ事務所関係者)

 この時期、木村はSMAPを解散させたいと考えていた可能性がある。おそらく木村は「キムタク」という個人の力が「SMAP」というグループの力を超えている、自分にはもうSMAPは必要ない、そう思っていたのではないか。そうでなければ、こんな時期まで引っ張り、突然、ひっくり返すことなんてしないだろう。

 ただ、木村にとって誤算だったのは、世論の反応だった。SMAP解散に対して予想以上に反発が起こり、存続運動まで起き、キムタクに対しても「裏切り者」という批判の声があがった。どんなに事務所が芸能マスコミを使って飯島氏と4人=悪者、キムタク=正義という情報を流しても、騒動の元凶はメリー副社長で、キムタク=裏切り者というイメージの拡散は止まらない。

 このまま分裂したらジャニーズ事務所のイメージも、キムタクのイメージも最悪になる。また、政財界やスポンサーからも圧力がかかり、事務所としてもSMAPは解散させられないということがわかってきた。そこでしょうがなく、キムタクは存続のために動くことになったということだろう。

 芸能マスコミは、木村がSMAP存続のためにメリー氏と4人の仲介役として動いた、とあたかも救世主のように美談仕立てで報じているが、実際は、自分のイメージを守るため、自分の人気を維持するのにまだSMAPが必要であることがわかったためにすぎない。

 それは昨日の『SMAP×SMAP』でのコメントでも明らかだ。本当にSMAPを存続させよう、立て直そうと思っているなら、苦しい立場に立たされている4人に対して思いやる言葉のひと言でも発するはずだが、一切そういう素振りを見せないどころか、むしろドヤ顔で4人を従える空気さえ漂わせていた。

 ようするに、木村は徹頭徹尾、自分のことしか考えず、最後まで飯島マネージャーとSMAPの4人を裏切り続けたのである。

 しかも、その裏切った木村がいまやSMAPを仕切り、中居たちが謝罪をさせられるという事態になった。

 本サイトは、SMAP解散危機の第一報があった当日、キムタクの裏切りを指摘し、「キムタクは今後、ジャニーズ事務所で重用され、幹部扱いになる」と予測したが、まさにその通りの展開になりつつあるということだろう。

「おそらく今回の責任をとって、中居は事実上、リーダーの座を剥奪され、これからはキムタクがSMAPを仕切っていくことになるでしょう。スポーツ報知が報じたような自粛はないと思いますが、4人の発言力は一切なくなり、これからはすべて木村とジャニーズの言いなりになるしかなくなる。中居らは極端に仕事を減らされ、SMAPは開店休業状態になる可能性もある。ただ、そうなると、もう一回、中居らが動き出して、解散話が再燃する可能性もあります」(週刊誌記者)

 今後の展開についてはまだわからないが、ひとつだけハッキリしていることがある。それは、みんなの好きだったSMAPはもうこの世界に存在しない、ということ。そして、SMAPを殺したのは、メリー喜多川とキムタクだということだ。
(時田章広)2016.01.19

lite-ra.com

 


SMAPがグループ活動の継続表明 生放送で騒動を謝罪…キムタク「ただ前を見て進みたい」

 

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裁判員裁判の死刑事件、再考を!

2人の死刑囚の刑が執行された。そのうち津田寿美年(すみとし)死刑囚は、裁判員裁判で死刑判決を受けた。裁判員裁判で死刑判決を受けた死刑囚の執行は初 めてとあって、新聞各紙は元裁判員裁判員経験者のコメントを紹介して、〈経験者 審理の重さ実感〉〈一生背負う・苦しみ消えない〉などのタイトルで大きくこれを報じている。

「心のケア」で済む話か?

こうした報道のあり方に、何を今さら、という気がし てならない。裁判員制度で、死刑事件も市民に裁かせると決めた時から、この日が来ることは分かっていたはずだ。実際に処刑されてからでなければ実感がわか なかったというのであれば、想像力がなさ過ぎる、と言わなければならない。

また、新聞各紙がやたらと「心のケア」を論じるのも、どうか、と思う。裁判員として裁判に参加した際に、残虐な 殺人行為を見聞きして、ダメージを受けた人に対する「心のケア」を施すことは、否定しない。有効な対策はやってもらいたい。しかし、人に死を強いる死刑判 決は、個々人の価値観、倫理観に関わることでもあり、傷ついた心を癒やす、という次元の話ではないと思う。

死刑判断という「苦役」

これは、制度の設計上の問題ではないか。

私は、裁判員になった一般市民に、死刑の判断をさせる制度には反対してきたし、今も反対だ。

個々 の価値観や倫理観は異なっていても、日本の刑法には死刑が存在する。死刑廃止を訴える人たちもいるが、今のところ、死刑制度は国民の大多数の支持を得てお り、すぐに廃止される状況にはない。死刑を宣告することは、職業裁判官でも、心理的には相当の負荷がある、という。それでも、職業裁判官は、職業選択の自 由がある中、人の命を奪う刑をも出さなければならないことがあると知りつつ、自ら裁判官の道を選んだ人たちだ。個人的な価値観や倫理観、感情に蓋をして も、職責を果たさなければならない時はあるだろう。判決を言い渡した後に、様々な思いが湧いたとしても、それを自分でコントロールしなければならないも、 この仕事を選んだ宿命と言えよう。

一方、裁判員はどうだろうか。たまたま選挙管理委員会がくじで選んで作成した名簿に基づいて、呼び出された一般 市民だ。一言で殺人事件と言っても、介護殺人などで同情の余地があり、再犯の可能性も考えにくく、執行猶予がついた判決を受ける被告人もいれば、被害者が 多かったり極めて悪質だったりして死刑を選択せざるをえない事件もある。どの事件を担当するかも、裁判員となる市民が自分の意思で選択できるわけではな い。

人の命を奪う刑に携わることを「苦役」と感じる人もいるだろう。死刑という制度を論じるのと、個別具体的な事件 で目の前の人の死を自分が決定しなければならないのは、また別の問題だ。評議の時には全力を尽くして考え抜いた結果であっても、その後時間が経つにつれ、 あるいは別の情報に接して、「本当にあれで正しかったのか」と悩むこともあろう。しかも、裁判員には守秘義務が課されていて、評議の状況を親しい人に語る などして相談することもできない。刑の執行ともなれば、相当に苦しい思いをしている人もいるのではないか。

津田死刑囚の死刑を決めた裁判員の一人は、判決直後の記者会見では「真摯に受け止めて欲しい。控訴はしないでも らいたい」と言っていたのに、11ヶ月後には「今になって、津田さんの顔が思い浮かぶ」「本当にあの判決で良かったんだろうか」と苦悩する心を、神奈川新 聞の記者に語っている(詳細はこちら)。

日本国憲法第18条は、「犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」としている。たまたまクジで選ばれてしまっただけの市民に、そういう「苦役」を強いる制度を維持することは、どうなのだろうか。

 

提案その1:死刑求刑で量刑判断から裁判員を外す

裁判員制度導入が決まった当初から繰り返し言ってきたことではあるが、今回の執行を機に、再度ここで言っておきたい。裁判員に死刑判断という「苦役」を強いるのはやめてもらいたい、と。

具体的には、法廷での審理の最後に、検察官が死刑を求刑した場合は、裁判員の役割から量刑判断を外し、事実認定だけにとどめる。評議の際に、量刑について意見を述べる機会はあってもいいと思うが、判決はあくまで裁判官の責任において行う。

私はそもそも、裁判員制度は、非日常的で残虐な事件も含まれる殺人罪などの凶悪事件ではなく、電車内での痴漢や 万引きなどの身近な犯罪や、特別公務員陵虐罪などの権力犯罪、さらには国を相手取った国家賠償訴訟などの民事裁判で行ってもらいたいと考えている。しか し、そうした”裁判員裁判のあるべき論”は、ここでは引っ込めよう。

先に挙げたような、求刑時点での対応ならば、裁判員制度の基本的枠組みは何もいじらずに、裁判員たちを「苦役」から解放することができる。

津田死刑囚に一審判決が言い渡された直後に行われた記者会見では、こんな発言をした裁判員もいた。

「人の命を決めるのは一般市民には重い決断。死刑が求刑されるような事件には、裁判員制度は適用しないで頂ければ」

提案その2:一審で死刑確定はさせない

今回の津田死刑囚の場合、彼が控訴を取り下げているため、上級裁判所の職業裁判官の判断を仰ぐことなく、一審の判決がそのまま死刑執行につながっているため、裁判員たちの心の負担がより大きいと思われる。

これまで、裁判員裁判で死刑判決が言い渡されたのは26人。そのうち7人の死刑は確定している。うち、津田死刑囚を含む2人が控訴を取り下げて、刑が確定した。ちなみに、もう1人、控訴はして高裁での判断は受けたが、上告を取り下げた者がいる。

被告人が控訴しない、もしくは控訴を取り下げれば、裁判員裁判の結果だけで、死刑が決まってしまう。控訴審や上 告審でも死刑判決が維持されれば、職業裁判官の目で見ても死刑以外はありえない事件だったと、裁判員だった人たちの負担は少しは軽くなるかもしれない。死 刑に対して慎重にも慎重を期すというメリットもある。

早急に、死刑判決は二つ以上の裁判所が支持しなければ確定できない、という制度にすべきだ。具体的には、一審で死刑判決だった場合は、被告人の意思の如何を問わず、高裁での審理を行う、強制控訴の仕組みを導入したらどうか。

反省している者ほど早く執行?

それにしても、今回の津田死刑囚の執行は、どういう基準で行われたのだろうか。彼より以前に死刑が確定した者が90人以上もいるのに、それを飛び越しての執行だった。

法務省は、死刑の執行の順番については、何の基準も示していない。ただ、共犯者の審理が続いていたり、国外に逃 亡している場合には、執行は控えられるようだし、再審請求中の死刑囚も同様だ。再審請求を繰り返している中で執行された者がいないわけではないが、請求中 の死刑囚については、執行は控えられる慣行は続いているようだ。

刑が確定しても、冤罪の可能性が高い死刑囚はいる。再審開始決定と共に釈放された袴田巌さんがそうだし、つい最近獄中死した奥西勝さんも同様だ。死刑が、取り返しのつかない刑罰である以上、刑が確定した後も、再審請求は予断なく慎重に吟味をするべきだ。

ただ、冤罪ではないのに、死刑の執行を引き延ばすために再審制度を利用している、と思われる死刑囚もいる。そうであっても、再審請求中は執行せずという慣例の恩恵は適用される。

報道によれば、津田死刑囚は一審の死刑判決の後、「死刑判決を受け入れたい」と控訴しない方針を弁護団に示し た。弁護団はそれを敢えて控訴したが、津田死刑囚自身がそれを取り下げた。そして、その後も再審の申立もしていないということは、彼が事件を深く反省して いた、とも考えられる。反省の深さという内心の問題は、必ずしも外観だけでは分からず、一審の裁判だけで見極められるものだろうか。

再審をしていない者から執行、というやり方では、自身の犯罪をより深く悔い、反省している人ほど、早く執行されることにもなる。こういうやり方は、果たして正義にかなうのか、大いに疑問である。

一刻も早い制度の改善を

死刑制度の廃止は、どんなにひどい凶悪事件 ――たとえばオウム真理教の事件より遙かに多くの人が犠牲になる、パリのテロ事件のような犯罪――が起きても、絶対に犯人を死刑にはしない、という決断で あり、これが早々に国民の合意が作られることはないだろう。ただ、世の中の声は必ずしも一様ではない。厳罰を求める声がある一方で、犯罪者といえども、そ の命を奪うことには慎重でありたいという人たちもいる。

そうした論議は、時間をかけてしっかり行うべきだろう。ただ、裁判員という制度の下で、市民に「苦役」を強いる制度については、一刻も早く 改める必要があると思う。今の裁判員制度の基本的枠組みをそれほどいじらずに済むやり方もある。裁判員裁判初の死刑執行という事態に、少なからぬ人たちが 衝撃を受けたのを機に、論議を進めてもらいたい。

 

江川紹子 ジャーナリスト

神奈川新聞記者を経てフリーランス。司法、政治、災害、教育、カルト、音楽など関心分野は様々です。