川崎リンチ殺人、被害者の母を責め立てた林真理子氏のエッセイの暴力性

シングルマザーの家庭を「特殊な環境」として報じたがるメディア

川崎で起きた中1リンチ殺人事件、残忍なやり口に憤怒しか湧かない。シングルマザーとして5人の子供を1人で育ててきた上村遼太さんの母親は、我が子の通夜を行なったその日に、マスコミに向けてコメントを発表している。

「遼太が学校に行くよりも前に私が出勤しなければならず、また、遅い時間に帰宅するので、遼太が日中、何をしているのか十分に把握することができていませんでした」と働き詰めだった自分を責め、「事件の日の夜、一度は外に出かけようとするのを止めることができたのだから、あのとき、もっともっと強く止めていれば、こんなことにはならなかったと、ずっと考えています」と最後の後ろ姿を止めなかった自分を責めていて、ただただ胸が痛い。

こうした猟奇的な少年犯罪が起きると、メディアは犯人側ばかりか、被害者側にまで「普通の家庭と違うところ」を探し出し、視聴者や読者に「こんな特殊な環境にありました」と示すかのような報道を繰り返す。今回はシングルマザーであることが「特殊な環境」としてあちこちで報じられ、それを見聞きした読者・視聴者は気の毒がる一方で「うんうん、やっぱり自分達とは違う」と安堵を急がせた。上村さんの母のコメントを反芻して欲しい。自分が置かれている環境が今回のような事態を招いてしまったのではないかと、行きどころのない後悔に1人で苦しんでいる。メディアが事件を消化するかのように作り出す「シングルマザーだったからねぇ……」という区別は、打ちひしがれている1人の背中を、鉄球で叩き落とすかのような暴力性をはらんでいる。

「お母さんがしっかりしていたら、死ぬことはなかったはず」と書いた林真理子

週刊文春』(3月12日発売号)の林真理子氏の連載エッセイ「夜ふけのなわとび」を読んで卒倒した。「お母さん、お願い」と題されたエッセイは、被害者の母親をひたすら責め立てる内容だった。

「お母さんがもっとしっかりしていたら、みすみす少年は死ぬことはなかったはず」

「ふだんから子どものことはかまってやらず、うちの中はぐちゃぐちゃ。そして恋人がいたという」

林氏は母親のコメントを読んではいないのだろう。上村さんの母親は、あの時気付いてあげていれば、止めていればと、覆ることのない「たられば」を繰り返しては、自分で自分を責めている。そういう境遇にある人に向かってなぜ、こういう乱暴な言葉を投げられるのだろう。「そして恋人がいたという」、恋人がいて何が悪いのだ。まさか、シングルマザーは24時間子育てに終始するべきで、新たなパートナーなど探してはならぬというのか。

母子世帯のうち、「貧困層」の割合は48.2%

林氏は事件について先述のように記した上で、今のお母さんたち全体の議論に広げ、

「私はやはりお母さんにちゃんとしてもらわなければと心から思う」

「いつまでも女でいたい、などというのは、恵まれた生活をしている人妻の余裕の言葉である。もし離婚をしたとしたら、子どもが中学を卒業するぐらいまでは、女であることはどこかに置いといて欲しい」と続けた。なぜ、ここまで暴力的な言葉を重ねられるのだろうか。

今回の事件を被害者の家庭環境のせいにすること自体が不健全だが、その不健全な議論に乗っかるならば、事件の遠因となったのは「恵まれた生活をしている人妻」と「そうではないシングルマザー」に生じた階層を率先して広げるような報道や識者の言葉にあったのではないか。

子どもの貧困、シングルマザーの貧困について書かれた本を1冊でも読めば、いや、20ページでも読めば、今回の事件を「シングルマザーだったからねぇ……」と区別する横暴さが分かっていただけると思う。「母子世帯のうち、収入が125万円に満たない『貧困層』の割合は、およそ半数の48.2%にのぼる。先進国で最悪のレベル」(朝日新聞・2014年7月26日・「シングルマザー、追い詰められて 今そこにある貧困」)に置かれている。働いても働いても貧困を脱することができないのは、果たしてシングルマザーのせいなのか。「いつまでも女でいたい」わけではない。むしろ社会が、或いは「恵まれた生活をしている」人たちが、シングルマザーを「いつまでも弱い女」扱いして、自立から遠ざけているのではないのか。

「どうしてこういう時、お母さんは“女”を優先させるのか」

女性の貧困、子どもの貧困、それらを一気に解決させる処方箋などなかなか見つからない。その一方で、一気に悪化させる言葉だけが易々と放たれていく。林氏はこう続ける。

「この頃、女性の連れ子に暴力をふるう事件があとをたたず、私は怒りに震える。どうしてこういう時、お母さんは“女”を優先させるのか。どんなことがあっても子どもがいちばんでしょ」。

無理解にも程がある。この日本で離婚する世帯のうち、8割は母親側が子どもを引き取る。暴力をふるう男から必死に子どもを守ってきたのは母親だ。シングルマザーとなり、「子どもがいるシングルマザーはねぇ……」と労働市場から弾き飛ばされながらも、子どもを守っていく。弾き飛ばされないためには、働き詰めになるしか、方法が残されていない。働き詰めのその先に、もし林氏が言うような悲しい事件が起こったとしたら、それは母親が「女を優先させた結果」などではない。

これはもう、明確な暴力である

林氏はエッセイの締めに、「そういうことをするお母さんが、この『週刊文春』を読んでいるとは到底思えない」「雑誌を読む習慣を持つ人というのは、恵まれた層の人たちだということを私は実感しているのだ」「本ももちろん読まない、雑誌も読まない。そういうお母さんは、想像力が抜け落ちているのではなかろうか」と書く。

想像力が抜け落ちているのはどちらだ。どこまで人をいたずらにいたぶるのか。絶望に打ちひしがれている人に、少しばかり注がれるかもしれなかった光を、前もって取り除くような言葉の羅列に読める。とりわけ影響力の強い雑誌でこのようなことを自覚的に書くのは、明確な暴力である。雑誌は「恵まれた層」しか読まないそうだ。上村さんの母親の目に入らないことを祈りたい。


1982年生。ライター/編集。2014年9月、出版社勤務を経てフリーへ。「CINRA.NET 」「cakes」「日経ビジネス」「Yahoo!個人」「ハフィントン・ポスト」などで連載。雑誌「AERA」「SPA!」「週刊金曜日」「beatleg」「STRANGE DAYS」「TRASH UP!!」などで執筆中。インタヴュー・書籍構成も手掛ける。2015年春に朝日出版社より単著を刊行予定。