山本さんが残した「最後のメッセージ」

シリア北部アレッポで銃撃され死亡したジャーナリスト、山本美香さん(45)の早稲田大大学院での講義の内容(産経ニュースより引用)。

シリア北部アレッポで銃撃され死亡したジャーナリスト、山本美香さん(45)は、平成20年から早稲田大大学院で講師を務め、年に2〜3回、ジャーナリストを志す学生向けの授業を担当。イラク戦争などの取材経験を語りながら「報道することで社会を変えることができる」と熱い思いをぶつけてきた。

講師に招いた早大大学院政治学研究科の瀬川至朗教授(ジャーナリズム論)は「ジャーナリストを志す学生にとって、素晴らしい教育者でもあった」と話す。
山本さんは学生に「戦争ですぐそばにいた人が攻撃を受けて大けがを負った。記者として取材を続けるか。助けるのか。皆さんならどうするか」と問い掛け、学生の意見を聞いた後、こう語った。

「どちらを選んだとしても、後で悩むことになるだろう。自分は助けたが、どちらが正解ではない。その場で真剣に考え、伝えるとはどういうことなのか悩むのが、ジャーナリズムだ」

人生の転機は、CS放送「朝日ニュースター」の記者として赴いた3年の雲仙・普賢岳の噴火災害取材だったという。被災地では当初、「何しに来たんだ」と言われたこともあったが、何度も被災者の元を訪ね信頼関係を築いた。瀬川教授は「この経験が声を伝える原点になっている。戦場での取材の基本も同じだと考えていたのだろう」。

山本さんはこうも語っていた。「戦火の町で苦しむ市民の姿、外には届かない声を伝えたい。生命の危険にさらされながらも逆境の中で笑ったり生き延びようとする姿を捉えたい」来年以降、「もっとジャーナリズム教育に時間を割きたい」と語っていたが、5月16日、政治経済学部の学生約150人に行った講義が「最後の授業」となった。

講義後、学生から質問や感想が寄せられた。「悲惨な状況を見て冷静でいられるのはなぜか」。山本さんはメッセージをつづり、学生に配った。

「冷静ではない。現地の人たちが全力で怒りや悲しみをぶつけてくるのだから、同じ人間として心を大きく揺さぶられる。悔しかったり、悲しかったり、怒りの感情が生まれ、心の中にどんどん積もっていく」

最後の講義後、山本さんが学生に配ったメッセージは次の通り。

日本で暮らす私たちにとって戦争は遠い国の出来事と思うでしょう。しかし、世界のどこかで無辜(むこ)の市民が命を落とし、経済的なことも含め危機に瀕(ひん)している。その存在を知れば知るほど、どうしたら彼らの苦しみを軽減することができるのか、何か解決策はないだろうかと考えます。

紛争の現場で何が起きているのか伝えることで、その国の状況が、世界が少しでも良くなればいい。報道することで社会を変えることができる、私はそれを信じています。

「日本にかかわること」がニュース選択の重要なポイントのひとつであることは否定しません。しかし、たとえば世界の安全は日本の安全につながります。人道的な見地からも目をそらしてはいけない大切なことがたくさんあるはずです。「仕方がないこと」「直接関係がないこと」と排除してしまうのでは、ジャーナリズムの役目を果たしているとはいえません。そうした広がりのない視点と態度は形を変えながら私たち自身にかえってきます。内外問わず、目が届きにくい、忘れられがちな問題を掘り起こしていくこともメディアの責務としてあります。

感想の中で、視聴率重視のテレビ業界への不信感がありました。視聴率にかかわらず、やっておかなければならないことをやる。そのためには、今のメディアの中でどう表現すれば、放送に至ることができるのか、企画を通すことができるのか、取材者、作り手としての力も磨いていかなければなりません。

社会にはさまざまな考え、職業、立場の人たちがいます。メディアの世界に身を置くと、力を持っていると勘違いしてしまうことがあります。高みから物事を見るのではなく、思いやりのある、優しい人になってください。