義母ナンシーについて。

Lacy2005-11-07

オットの母ナンシーは70歳を超えているが、今も一人で暮らしている。彼女のオット(つまり私にとっては義父)は、もう随分前に他界してしまって(20年くらい前)、それ以来彼女は家族が皆巣立ってしまったその同じ家で一人暮らしだ。

ベッドルームは3つしかなく、決して大きいとは言いがたい家ではあるが、しっかりした仕事の上に建った家らしく、年数の割にはコンディションはとてもいい家で、私はなぜかあの家へ行くと、ちょっとホッとしたりもする。

ナンシーには私のオットを含め、3人の子供がいる。長男、長女、次男、で、この末っ子の次男が私のオットだ。長女はいわゆる「スープの冷めない距離」に住んでおり、週末といわず行き来している様子だが、もっとも長男も彼女の家から車で約1時間の距離に住んでいるし、私たちも2時間半のところにいるので、なにかあってもすぐに皆が集まれる恵まれた状況。

アメリカでは老後の面倒を子供に見てもらおうという人はとても少ないと聞いている。なぜなら、それは自由ではないと感じるかららしい。自分の好きなことを死ぬまでしていたい、誰にも気遣わずに、そんなところだろうか。

事実、ナンシーはついこの間まで仕事をしていて(彼女は最近からだを壊して仕事を辞めた)、自分の生活は自分でまかなっていたし、「家を売ろうかしら」とは何度となく言っていたけれど、それは間違っても、自分の子供の家に同居する、という意味にはならない。家を売ってまた「小さな家」を買うのだ。

この場合の「家」にはいくつかオプションがあって、単身者、また老夫婦だけの「小さな家」が立ち並ぶ老人だけのコミュニティに引っ越してゆく人も多いし、一方「家」を維持して行くのが大変だと感じる人には、いわゆる老人ホームスタイルの集合住宅までいろいろある。後者はうちの近所にも一軒あって、そこへ行くと元気ぴんぴんなお年寄りが、たくさんんの友人と楽しそうに暮らしている。もちろん、ナースや専門の知識を持った職員がいるので、万が一の時も安心できるのだろう。

ナンシーは、実は最近、そんな次のステージの人生を考え初めているらしい。

彼女には計5人の孫がいる。長男のところには4歳と3歳の女の子、長女のところには2人の女子大学生がいる。そうして唯一の男子の孫が我家の息子、もうすぐ2歳だ。これまで「スープの冷めない距離」で暮らしていた長女家族ではあるが、グランマの楽しみであった二人の孫はもう大学生になり「おばあちゃんとと一緒に遊びたい」お年頃はとっくに過ぎてしまっていて、そのため、彼女としては「小さな孫」との時間がもっと持てれば、と願っているらしい。その思いが、人生の新たな第一歩を踏み出させる力になっているのだと思う。

話は反れるが、彼女の家にいくと、いつも気になっていたことがあった。それは、ストーブ(日本語で言うキッチンのコンロ)がいつもピカピカに輝いていて、まるで一度も使用されたことがないように見えることだった。しかし、ある時、その秘密が分かったのだ。

家族の集まりがあって、彼女の家に泊まったある朝、彼女が私たちに朝食を作ってくれたことがあった。「卵だけど、どんな風に調理したらいい?」と聞かれたので、「2個分をスクランブルにしてもらえるかしら?」と答え、バターが香ばしく香る中でその出来上がりを待った。普段の朝ごはんでは卵料理などしないので、なんだか随分贅沢な気分を味わいながら、楽しい朝ごはんを頂いた。

食べ終わって、「じゃ、私が食器を洗うわ」(彼女の家の食器洗い機はもうず〜っと壊れたままだ)と、私が台所に立つと、ナンシーは「そう。じゃ、よろしく。私はストーブを片付けるわ」という。へ?と思ってストーブを見ると、別に全然汚れてなんかいないのだ。もしかしたら、バターが1滴くらいはねてるかも知れないけれど、掃除するほどのレベルじゃない。と思っていたら、彼女は手袋をはめて、コンロを外して、それから念入りに掃除し始めたのだ。まるでそれは大晦日の大掃除みたいな、そんな風。

なるほどぉ、と思った。彼女のいつもピカピカなストーブの秘密はここにあったのだ。一度使ったら、後で必ずしっかり掃除しておく。そうすれば、どっさり汚れてしまってから掃除をしなくて済むし、いつもピカピカに保てるってわけだ。

彼女は「義母」としての立場から私になにかを意見したり、批判したりしたことがこれまで一度もない。私が息子と一緒に寝ているということも、義姉なんかにすると「信じらないわ。そんなに甘やかしていていいの?」等と批判めいて言われるが、ナンシーは「いいのよ、あなたが母親なんだから、好きなようにやればいいのよ」としか言わない。そんな人だ。

だから、料理のレシピの話ではアドバイスをくれたりはするけれど、それ以外のことで私は彼女になにかを教わったり、ということも実はない。もっともそれには私が日本人であるということが、多かれ少なかれかかわっているのだと言う気もするけれど。アメリカの家に住んでいて、「ああ、靴脱いで〜〜」とか強制しちゃってるしね。そんなわけで、私は私のやりたい様になんでもやってきていたが、その時、そのストーブのピカピカの秘密だけは見習おうと思ったのだ。以来、「使ったら後は(できるだけ)必ず掃除」を自分に言い聞かせて、「ナンシーのストーブ」を目指して頑張っている私。

人生の大半を過ごしてきた場所から離れるのは、想像する以上に大変なことだろうと思う。でも、彼女にはまだまだ、ますます元気で頑張ってほしいと願っている。

(写真はナンシーのじゃなくて、「私のストーブ」)