不倫疑惑騒動で、お詫びのために引退って、なんなのよ!
最近の日本の芸能界、不倫騒動、で、世間の皆様にお詫びって、よく目にする。
私はいつも、そんなこと世間に詫びる必要など全くない、と思う。
そのタレントがコマーシャル契約を持ってる場合は、製品とかサービスの顔の役目を担っていて、そのためにそれなりの報酬を頂いているわけだから、それらの契約企業に迷惑をかけた、って言うのは納得できる。
でも、お茶の間でテレビを見ている一般の世間の人に「お騒がせしました」なんて詫びる必要はどこにもないと思う。
今朝、小室さんの会見を見た。
正直言って、痛々しくて見ているのが辛かった。音楽界=小室哲哉だった時代が過ぎて、詐欺事件、人気の衰退、奥さんの病気、そして本人の健康問題と続いて、本当にいろいろあって心身ともに疲れ果てている様子が見れた。
いろいろと誰かに聞いて欲しかった時に、奥さんが「子供みたいな状態」では、そりゃ大変だったろうと思う。
世代の違いなんだとは思うけど、私は秋元が牛耳ってるばかばかしい大人数グループよりも、小室さんが活躍していた時代の音楽界?の方が、質は断然上だったと思ってる。
小室さんにはこんな形で終わって欲しくなかったけれど、ご本人ももう能力に限界を感じていらっしゃる様子だから、これはこれでよかったのかも。さらに惨めな状態になって辞めざるを得なくなって去るよりも、まだ自分から「辞めます」って言える状態の時に終われる方がずっといい。
でも「自発的な音楽活動からは引退」ってことだから、依頼が来たらまだ続けていくのかな。そうであって欲しいな。
ゆっくり休息とって、また元気な姿を見せて欲しい。
イチロー震災10年インタビュー(下) 震災後の結論「野球をしなくては」
神戸に「行く」ではなく、「帰る」と、イチロー選手(31)は表現する。阪神・淡路大震災については「忘れない」ではなく、「忘れられない」。十年前、神戸市西区学園東町にあるプロ野球・オリックスの合宿所「青濤館(せいとうかん)」で震災に遭った。ここ数年、一月十七日には神戸で黙とうをささげる。イチロー選手にとっての「1・17」とは-。
もちろんあの時間、みんな寝ていて、何かものすごい音がしたんです、最初。トラックが突っ込んだのかと思ったら、直後に揺れが始まった。部屋が確か四階だったのですが、屋根か床が抜けるかと。ただ事ではない。命の危険を感じましたね。
結局、青濤館は大丈夫だったんですが、パンツ一枚で食堂まで行きました。誰かの顔を見るとほっとするので、みんな集まったんですよね。
しばらくしたらテレビがついて、高速道路やビルが倒れていた。自分が体験したあの揺れよりひどい所であれば、当然そうなるだろうし、テレビの画面を見ても不思議ではなかった。
知っている人たちに電話しました。皆、無事だった。実家に連絡すると、おやじは歯磨きしていたみたいで、まったく分かっていない。慌ててテレビをつけていました。
▼二月一日からの沖縄・宮古島でのキャンプはもちろん、二カ月半後の開幕も危ぶまれた。
キャンプは無理だろうと、すぐ思いました。それどころでないという雰囲気。
地震の直後に、(チームの中で)自分たちはどうしたらいいか話し合ったんですけど、結局、行き着いたところは、僕らは野球をしなくてはいけない、ということ。通常通りの開幕に向けてやることが、僕たちが一番やらなくてはいけないことだという結論になりましたね。そのために、じゃあ、どうしたらいいか、それぞれが考えた。
キャンプは一月三十一日に関西国際空港に行ける者は集まるということになったが、最終的にみんな集まった。うれしかったですね。野球をやろうと、皆が思っていた。
▼「がんばろうKOBE」のワッペンを袖に付けてブルーウェーブは快進撃した。
ワッペンに思い入れはありますよ。でも、実は、僕はあれがあんまり好きではなかった。表に付いているから。
例えば、けがをした選手の背番号を帽子に書いたりすることがありますよね。アメリカで始まって、日本の選手もやたらやっていたみたいですけど。僕は、ああいうのは心や気持ちの問題なんだから、付けるのなら裏に付けてもらいたい。見えない所に。それで、そのことが知れ渡るのなら、いいです。どかーんと見せるというのは、ちょっとやらしいなと思う。
ただ、それと、「がんばろうKOBE」のワッペンとは違う。あのワッペンを見て、被災した人たちが一緒の気持ちになってやれるという面があったんで、(よいか悪いかの判断は)難しいですけど。僕の気持ち的には、裏側に付けるのが本当だと思います。
ワッペンを取るタイミングもすごく難しかった。僕は日本一になったとき、取るべきではないかと意見を出したんですけど。時機を逸すると、ずーっとになってしまうから。
▼今年も例年通り神戸で自主トレを始める。
神戸が好きだから。それが、自主トレをここで始める一番の理由です。練習場がほかにあっても、それ以外の土地に行くかどうか分からない。逆に練習場がなくても、オフには神戸に帰ってくると思う。将来どうなるか分からないですが、僕は神戸とは一生付き合っていくと思います。
今年、自主トレを始める日はまだ決めていません。一月の中ごろには始めます。
▼イチロー選手にとっての一月十七日とは。
あの日のことを、僕らは、被災した人たちは、いつだって忘れることはないんですが、もう一度、しっかり自分の記憶、気持ちの中にとどめる日ですよね。
それと、前に進んでもらいたい。後ろ向きにならずに。十年たったわけですし、忘れるという意味ではなく、気持ちを切り替えられる区切りになると思うんですよね。
僕は、次に起こることは何か、いま何をすればいいのか、いつも考えます。無駄というか、生かされないことの方が多いんですが、考える労力を惜しむと、前に進むことを止めてしまうことになる。それぞれの生活の場で、考える内容や質は変わるでしょうけれど、考えてみてほしい。僕も新しい年、無駄なことをたくさん考え、そこから新しい何かが見えてきたらうれしいですね。
イチロー震災10年インタビュー(上) この街が「第2のふるさと」
あの年、野球に私たちは勇気づけられた。阪神・淡路大震災に遭った神戸を舞台に、オリックス・ブルーウェーブは初めてのパ・リーグ優勝を果たした。翌年には日本一に。ヒットを打ち続けたイチロー選手(31)は、二〇〇〇年の渡米後も勢いは止まらず、昨年は米大リーグの年間最多安打記録を八十四年ぶりに塗り替えた。神戸から巣立ったヒーローは、今も神戸を励まし続けている。イチロー選手に震災十年を迎える神戸への思いを聞いた。
(聞き手 宮沢之祐、木村信行)
道は誰かに造ってもらうのではなく、自分で切り開いていくもの。そう思っています。でも、震災に遭った一九九五年は、何かに導かれるような感じでしたね。自分以外の何かの力が働いているような。
自分よりも、他人のことを先に考えるなんてことを、僕たち野球選手はあまりしない。けれども、九六年までの期間だけは違っていた。人のためにやろうという意識が強かった。
震災で傷ついている人たちが球場にやって来て、スポーツを見ることで、つらいことを忘れようとしている。そんな雰囲気があった。街に出れば、震災に遭った人たちが、僕に何かを託していると感じることができました。
人のために何かをしようとしたときは、だいたいうまくいかないもの。なのに、九五年優勝、九六年日本一と、あんなにうまくいっちゃって。ちょっと錯覚しましたよね。
▼その後、ブルーウェーブのチーム成績は低迷し、観客数も減っていった。イチロー選手は、そんな状態にいら立っているように見えた。
当時の僕は、(人気を盛り返すことに)何かできると思っていたんじゃないでしょうか。何をすれば見る人が喜ぶのか。あのころは、それが第一にきていた。
でも、昨シーズン(二〇〇四年)をやっているうち、それは間違っていたと思いました。一人の人間ができることは限られていて、一人の力や思いで世の中を変えることは無理だ、と。世の中の流れに乗って何かを変えたり、きっかけを作ったりは、できたとしても。
自分の力をあまりにも過大評価していた。一種の思い上がりですよね。
▼厳しく過去を総括するイチロー選手。〇四年に何があったのか。
〇三年のシーズンが終わったとき、自分勝手にやらしてもらおうと思ったんですね。ちょっと表現が悪いですけども。自分が満足したり、面白くなかったりしたら、見ている人だって面白いと思わないんじゃないか、と。
〇四年は人を喜ばせようと思ったわけではない。誰かを勇気づけようとしたわけでもない。自分自身のためプレーをした。その結果、世の中の人に何かを感じてもらった。楽しんでもらえたわけですよ。
観客を増やそうと思いながらプレーしても、できなかった。なのに、〇四年はそんなことを考えていないのにできた。面白いですよね。
▼同じ年、ブルーウェーブの名前は消滅した。
寂しいですよ、もうないわけですから。
ドラフトで指名されたときは、ものすごく嫌だった。全然なじみがなく、ネガティブなイメージしかなかった。名古屋を離れたことがなかったから、不安な気持ちにもなったし。でも、プロに入ることを目標にしていたから、入団させてもらった。
三年目に(日本の最多安打記録を更新し)世の中の人に見てもらうようになったんですけど、三年間が大きかった。今ある僕の人格だとか性格だとか考え方というのは、ほとんど神戸で作られたものなんですよね。一番何かを感じて成長する時期に、神戸にいた。出身は愛知県ですが、僕にはふるさとが二つある。
米国に行っても気になるのは、ほとんどオリックスだけです。もちろん(西武の)松坂や(巨人の)上原は、個人として興味がありますが。
新しい監督が仰木監督と聞いて、それは僕にとっても救いでしたね。違う監督なら、興味がかなり薄れたかも知れない。今年も気になるチームです、もちろん。
▼「市民球団」を名乗っていたオリックスが、本拠地を大阪との併用にする。
日本では、ユニホームに大きく企業の名前が出るから、なかなか市民球団という意識は出にくいですよね。胸にどんと「KOBE」と書いてあれば違うでしょうけど。
ただ、神戸という土地でなら市民球団を育てられるんではないかと、僕は感じていたんですけどね。
どうしてか? 人が熱いですよ。震災があって、球場に行くのだって難しい状況で、あれだけ人が集まったんですから、その時点で熱いんじゃないでしょうか。熱くなれるし、ちょっと上品だし。
もっと厚かましく、自信を持っていいとは思う。海も山もあって、日本でこんなきれいな街はあんまりない。その気になったら、神戸は活気のある街に絶対なるはずです。
イチロー 本名・鈴木一朗。愛知県出身。愛工大名電高から1991年、ドラフト4位でオリックス入団。登録名を「イチロー」にした94年、年間210安打の日本プロ野球最多安打記録を達成。同年から7年連続で首位打者。2000年オフに米大リーグのマリナーズ入り。01年、首位打者、盗塁王となり、ア・リーグの新人王、最優秀選手に選ばれた。04年は月間50安打以上を3度マークし、年間262安打で大リーグ最多安打記録を更新。首位打者にもなった。180センチ、77キロ。
ヨーグルト 新フレーバー発見
どちらも トレジョ
グリーンティーの方は 味がちょっと薄いなぁ
でもアボカドは結構美味しい。