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日米交流史の象徴・ポトマックの桜にまでケチをつける韓国と中国

米国にも日本生まれの桜「ソメイヨシノ」の名所がある。首都ワシントンのポトマック川の並木である。1世紀以上前に東京市から贈られたもので、その後の日米関係の激動も乗り越え、今や約2000本。毎年3月下旬の開花期に併せ、「全米桜祭り」開かれる。

「全米桜祭り」は、毎年70万人以上の人が参加する首 都ワシントンDC.の春の大事な行事となっている。主催は、ナショナル・チェリーブロッサム・フェスティバルInc.。3月最後の土曜日のファミリーデー から2週間開催される。祭りの最中には、寿司や日本酒に関する講義、アニメ・写真などの展示、落語など文化公演、着物のファッションショーなどが多彩な催 しが繰り広げられる。人気の「スミソニアン凧(たこ)揚げ大会」も祭りの最初の週末に行われる。

一方、「全米桜祭り」の一環として在米日本大使館やワシントン日米協会などが主催しているのがストリートフェスティバル「さくらまつり」。いうまでもな く、アメリカ最大の日本文化祭となっている。在ワシントンの日本人、日系人社会が一丸となって長期計画をたて、毎年「さくらまつり」を実施している。

ところが、近年、「全米桜祭り」に異変が起きている。韓国、中国などが「全米桜祭り」をアジア系の大きな行事として位置づけ直すよう働きかけているからだ。

特に、韓国側は、ソメイヨシノは日本産ではなく韓国産であるとして、そのことを明確にするよう米国政府に働きかけをしているという。それだけではない。日本の桜自体が、済州島原産のものであるという学説さえ流しているのである。

100年前、日米両国関係者の想いと熱意

桜をワシントンに最初に持ち込もうとしたのは、ナショナル・ジオグラフィックス協会の女性理事で紀行作家であったエリザ・シドモアさんだった。女史は 1885年、日本への旅行後、公共施設などの管理をしていた米陸軍に対して、埋め立てが行われたポトマック川畔に桜を植樹するよう提案した。提案は、何度 も拒否され、実に24年間にわたる長い要望の末に実現する。

ポトマックの桜「100周年」を在米日本大使として迎えた藤崎一郎氏によると、桜植樹の話が急展開した功労者の一人は、水野幸吉ニューヨーク総領事(当 時)だったという。水野氏は日露戦争で在留邦人保護に尽力した人物で、日露戦争を講和に導いた米国に対する恩義を強く感じていた人物でもあった。

水野氏はシドモア女史とも知り合いで、桜植樹の提案を熟知しており、1909年4月にワシントンへ出張したとき、シドモア女史と、ワシントンに偶然に滞在 していたアドレナリンの発見者である高峰譲吉博士と3人で話す機会があった。高峰博士は当時、ニューヨークにおける日本人社会のリーダー的存在であった。

この会合で、シドモア女史から「タフト大統領夫人がポトマック川畔への桜の受け入れを歓迎した」との情報がもたらされ、話がとんとん拍子に進むことになっ た。高峰博士や水野総領事らは、移民排斥などでアメリカ人の反日感情の高まりを懸念していたこともあり、日本政府への桜の移植を強く働きかけることとなっ た。

桜の木の移植に動いたのは当時の尾崎行雄東京市長小村寿太郎外相の依頼を受け東京市は1909年8月に桜の米国移植関連予算を決定する。尾崎市長は当時、大変な”国際派“としても知られ、日露戦争終結のポーツマス条約締結で米国に世話になったという認識を抱いていた。

日本国内でのすべての準備が整い、1910年1月、2000本の桜の苗木が海路でアメリカに移送された。しかし、長い航海の途中、多くの桜が病害虫に侵され、ワシントンに到着はしたものの、防疫検査を通過できず、すべてが焼却処分された。

しかし、尾崎市長はこれにめげることなく、害虫に強い桜を確保するよう指示を出して再挑戦する。東京の荒川堤で採集したソメイヨシノをはじめとする五色桜 を穂木として、兵庫県伊丹市東野地区の台木に接木し、健康な苗木を作り上げる。さらに青酸ガス薫蒸で害虫駆除も念入りに実施した。

一年以上かけて育てられた桜の苗木3020本は、1912年2月に横浜港を発ち、無事にワシントンに到着。同年3月27日に記念植樹が行われ、ヘレン・タ フト大統領夫人が出席した。長期の航海にもかかわらず、病害虫に侵された桜が一本も見つからなかったことに、米側検疫官は感嘆したという。

最初に贈られた3020本の桜は12種類で、現在ではソメイヨシノとカンザンが多くを占める。また、ワシントンDCの人工湖タイダルベイスンの周りには現在までに、約3750株の桜が植えられ、イースポトマック公園とワシントン記念塔周辺にも桜が立派に育っている。

ちなみに、伊丹市の東野には「里帰り桜」の木がある。日本から桜がワシントンに贈られてから90周年に当たる2003年に、ワシントンの桜の苗木がその記念として伊丹市に贈呈されたものだ。

積み重ねたものこそが歴史

ポトマックの桜は、米国に、特に首都ワシントンに見事に根差した。現在の親密な日米関係の象徴ともいえる。それゆえに、それを自分のものにしたいというのはいささか子供じみた発想としか思えない。

この2000本の桜が、この地に移植され、愛されるようになるまで、多くの日米の関係者の苦労があった。日露戦争後に日米関係がピーク時から急転直下、険 悪期に向かう中、両国のきずなをつなぎとめておこうという無数の思いが、あの大戦争をも乗り越えて、現在、満開の桜を咲かせているのである。

歴史とは、困難な時期においても積み重ねたものの結果であり、こればかりは横から手を伸ばしても手に入れることができるものではないのだ。

nippon.com yahoo別館(infoseek別館)3月27日(金)11時56分配信  

 

ポトマックの桜、“日米交流史”の象徴