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The Bee

NYCまで出向いて、野田秀樹の芝居を見てきました。
夢の遊眠社の「透明人間の蒸気」「贋作・桜の森の満開の下」「ゼンダ城の虜〜苔むす僕らが嬰児の夜」、そしてNODA MAP になってからは「 キ ル」「贋作 罪と罰」「橋爪功VS野田秀樹 二人芝居『し』」 「TABOO」「赤鬼」「ローリング・ストーン」「半神 」と、こっちに移住するまで観続けていた野田秀樹の世界。
彼は裏切らなかった。インテンス、ショッキング、アンエクスペクティッド。
最後は涙が溢れたけど、悲しい涙とも、単なる感動とも違うものだった。
ブラボー。


THE BEE NY公演の劇評
★The New York Times NY Times(English)

Violence, Addicting Yet Ugly (暴力、醜くも人を耽溺させるもの) Jason Zinoman 2012年1月10日
息子の誕生日に家路に急ぐ日本人サラリーマンが目にしたものは、脱獄犯により家族が人質にとられていたという惨状だった。家を取り巻く警察も無力に見えるため、良識のある物腰の柔らかなサラリーマン(彼の息子への誕生日プレゼントは電卓だった)は、加害者である脱獄犯の妻と息子を人質にとり、自らの力でこの状況に立ち向かおうとする。そして、彼の家族が解放されなければ、人質の子どもの指を切り落とす、と脱獄犯を脅迫する。

筒井康隆の短編小説を基にした野田秀樹の確信作、"THE BEE"は、極端な倒錯と極めてシンプルで洗練された演出を併せ持つ残虐なおとぎ話である。復讐の代償という主題は、『わらの犬』※や『鮮血の美学』などの映画を思わせる。我々は皆、文明化された仮面の下に凶暴な野獣を潜ませているとの示唆もこれらの映画と共通している(舞台の後ろの壁に埋め込んだ鏡が観客を映し出すのも効果的な演出である)。

この舞台の価値を一層高めているのは、その様式である。野田氏(脱獄犯の妻も演じる)が確信的に演出し、英語で上演される舞台は、オーケストラのように見事に編成されたペースで進行する。コミカルで速いペースで始まり、そして徐々にペースを落としていく。サラリーマン、井戸(キャサリン・ハンターが野田同様、性を転換して演じる)は、自らの暴力にスリルを覚えるようになり、勝ち誇ったような様式化されたスローモーションのダンスで自らの勝利を強調する。しかし、その異様なダウンビートと儀式化された動きが表現するものは、この作品が暴力に対して暴力の主唱者とは全く異なる観点を持っていることである。

家族と正義を取戻すための報復としての暴力は、やがて独自の論理を持ち始める。ひとたび暴力に身をゆだねれば、狂気は徐々に正常となり、ありふれたものにさえなる。

井戸の行う勝利の儀式は、一時は激しいものであるが、次第に、毎朝歯を磨く機械的作業のようになっていく。そして、ボクシングのリングのようにゴムによって四角く張り巡らせた舞台上の動きは漫画的に始まり、それはやがてゆったりとした、ほとんど退屈なまでのリズムとなって終わる。マスメディアは次の報道へと移り変わっていく。警察は、新たな事件にとりかかる。一人の男が発狂する。誰一人として気づかないまま。   

※『わらの犬』 1971年アメリカ公開(日本公開は翌年)のサム・ペキンパー監督による映 画。原作は、イギリスの作家ゴードン・M・ウィリアムズの『トレンチャー農場 の包囲』。争いを好まない平和主義者が、周囲からの卑劣な仕打ちに耐えかねた 挙句、内なる暴力性を爆発させてしまうという、ペキンパーの諸作品でも特に 異彩を放つ問題作。主演は、ダスティン・ホフマン
(野田地図サイトより)