ある朝、私は号泣した。

小さな村々をつないで延びる田舎道を走っていた時のこと。

時間にして、朝の9時。

そもそも車の往来の少ない道ではあるが、この時間ではさらに少なく

前にも後ろにも横にも、自分以外に走っている車は見えない。

制限速度が55マイルから50マイルに減速されるサインが見え、

そしてそれがやがて45マイルに変わった時のこと。

緩やかに右にカーブした直後、私の視界に入ってきたものは

悲しくも、車にはねられた小鹿の屍であった。

開けられたままの目は、黒々と光っており

まだ息をしていそうにさえ見える。

傷も見えず、血が流れているようにも見えない。

しかし、普通でないアングルに曲げられた首が

悲しい運命を物語っていた。

私は即座に速度を落とし、

その脇をゆっくり通り過ぎようとした。

その時。

私の目端に映ったものは・・・

道路の脇で呆然と立ち尽くしている母鹿の姿であった。

母鹿が先に道路を渡って

次にわが子が渡ってくるのを待っていたのか。

あるいは、子が先に渡り始めて

母鹿がその後に続こうとしていたのか、

私には知る由もないが

母鹿が、目の前で我が子が車に跳ねられるのを目撃したのには間違いなく

そして彼女はその状況を飲み込めないといった風で

ただそこに静かに立ち尽くしているのだった。

「どうして私の子は動かなくなってしまったの?」

「一体なにが起こったの?」

母鹿の悲しさに満ちた目がこちらを見ていた。

私はひどく動揺した。

そして号泣していた。

車を止めて、小鹿に駆け寄るべきなのか?

まだ息があったとしたら、獣医は助けてくれるのか?

パトロール中の警官を見つけたら?

冷静な時であれば

「それも野生動物の宿命」と

自分にできることはなにもない、と

悲しみを押しやる事ができるのに

あまりに予想外で

あまりにショッキングな出来事に出くわしたばかりの私は

全く混乱しており

車を止めることすらできず

号泣しながら、ただひたすら運転し続けた。

どうしても涙を止めることができなかった。

対向車の運転手に私の姿が見えたなら

一体何事か、と思ったに違いない。

この山間の地域では

跳ねられた鹿を目撃することなど

正直いって珍しいことではない。

私だってもう数え切れないほど出くわしてきた光景だ。

でも、それは決して気持ちのいい光景ではないし

私はその度に、心がズキンと痛んで

居たたまれない気持ちになってしまう。

笑う人もいるだろうが

鹿の家族が

「今日お母さんが帰ってこないわ、どうしたのかしら?」などと

会話しているかもしれない、と考えてしまうからだ。

今もあの母鹿の姿が脳裏から離れない。

急ブレーキ、間に合わなかったのか・・・

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