「フロシキハトテモベンリデスヨ」

1年を通して、何かと旅行の多い我が家。車での移動が基本であるため、特に荷物を小さくする必要はなく、「必要と思われるもの」を何でも詰め込んでしまうので、小旅行のはずなのに、なんだかいつもものすごい大量の荷物になってしまうのだけれど。

そんな旅のパッキングに欠かせないものとして、私は「風呂敷」を挙げたい。大げさでなく、これがなかったら一体どんな風にしてスーツケースの中にモノを詰め込んでいけばいいのか?と思うくらいの必需品。
まず自分のスーツケース用には衣類を種類別にこれでくるむ。トップス、ボトム、ジーンズ。シワになりやすいものは、それぞれを畳まないで広げた状態で重ねあげたものの中心に「芯(シワが気にならないTシャツなど)」となるものをおいて、それをくるっとまるめてくるむ。それからもちろん下着、靴下。子供と一緒の行動では何かと便利な小さなタオル類。靴は最初にスーパーの袋で1足づつ包んでから、風呂敷で数足をまとめる。他、小物類も当然くるむ。
息子のパッキングは、シャツとボトムと靴下をあらかじめ1日分つづコーディネートして、それらを1枚の風呂敷が包める分の高さまで積み上げて、そしてくるむ。下着、靴などは自分用と同様に。

こうやってパッキングすると、スーツケースには「風呂敷パック」をパズルの様に「はめ込む=詰め込む」だけでよく、現地についた時にも荷解きがとても簡単で、下着類などは、風呂敷にくるんだままのものをチェストの引き出しに仕舞いこめる。これには、アメリカ人はそんなことは到底気にしないだろうが、多くの日本人ならきっと気になるであろう、誰が使ったかも(ナニに使ったかも)分からないチェストの中の衛生状態を、あまり気にしないで済むという利点もある。
またインターナショナルな旅では、スーツケースは出国時に開けられ、入国時に開けられ、ということが想定できるわけで、そういう場合にも、風呂敷で包まれた荷物達は「ぐちゃぐちゃ」にならないし、小さなものの紛失も防げると思う。そしてなにより、風呂敷で整然と包まれたスーツケースの中身の「見た目」の美しさは無視できない。

ということで、私はこよなく風呂敷を愛しているのだけれど、困ったことに、長年使い込んできたそれらが最近どうしようもなくくたびれてきて、解れてきたり、破れてきたりしてしまった。
そこで去年の夏に帰国した際に新しい風呂敷を買い求めるべく、それらしいお店を回ってみたりしたのだけれど、私が探しているようなものには出会えず。もちろん、デパートにいけば高級ちりめんとか、シルクとかでできた「ちゃんとした風呂敷」は売られているのだけれど、私が欲しいのは、柄とか色は二の次で、使う度にがんがん洗濯できて、すぐ乾くポリエステル製で、サイズがやや大きめのものが理想。実家の近所にあった「100円ショップ」で何枚か購入したものは、デザインはそれなりに工夫されていたけれど、サイズがちょっと小さめだったのが残念だった。

そんなことを、帰国を直前に控えた日本人の友人に話したところ、「実家で、呉服屋の友達がいるから、要らない風呂敷がないか聞いてきてあげる」と嬉しいお言葉。全然高級なのじゃなくていいのよ、その昔、結婚式の引き出物で、お重を包んでいたような「紫色の風呂敷」、あんなのがイメージなのよ、とお願いしたら。

「たくさんもらってきたわよ〜」と、どっさりの風呂敷が届けられた。
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サイズもデザインもいろいろあって、「本当にもらっちゃっていいの?」というような「ちゃんとした」風呂敷も多数含まれていた上に、特に念願だった大判サイズのものが何枚もあって感激。今年の干支である可愛らしいうさぎさんがついたものまで。
それにしても、こうやって何枚もの風呂敷を眺めながら、改めて日本人の美意識の高さに圧倒された。昔の人は、こういうものにまで徹底して美にこだわっていたのだ。なんて思うと、使うのがもったいなくなってしまいそうだけど、いやいや、しっかり活用させていただくこと間違いなし。

ところで、冒頭のタイトル「フロシキハトテモベンリデスヨ=風呂敷はとても便利ですよ」であるけれど、これはオットが以前受講していたコーネル大学の日本語プログラムのテキストに引用されている一文だそうで、他の日本語はさっぱり忘れてしまっているようなのに、なぜかこれだけは今でもしっかり覚えているらしい。例文として「フロシキハトテモベンリデスヨ」なんて、そのテキストブックで一体どんな会話が再現されていたのか?と気になってしまう私ですが、まぁ事実だから良しとして。