ミスター・ストーン

引越しを目前に控えて、毎日荷造りで忙しくしているのですが、ふと、前から気になっていたことをしてみたくなりました。それはなにかというと、この度購入した家の歴史を調べる、ということ。私たちの家が位置するストリートは「ヒストリカル・ディストリクト」(歴史的地区)に指定されているので、当時の建物が今もそのまま建っている上、コートランドにあるヒストリカル・ソサエティーという博物館にいけばそれを所有していた家族の情報を調べることができるのです。幸い、私たちはこの家の前のオーナー(売主)から、この地域の古い地図帳に残されていた当時の家の「絵」をコピーしてもらっていたので、1836年に建てられたというその家を所有していた家族の名前はすでに知ってはいたのですが。

早速、昼からしか空いていないと聞いていた博物館の図書室へ出向いた私。綺麗な老婦人に事情を話すと、彼女はすぐに1850年のHomer(ホーマーと読みます。コートランドからホーマーに引っ越す訳です)の地図を見せてくれました。と、ありました!現在とおんなじ場所に、おんなじ形の家が記され、「J.W.Stone」と書かれています。そう、彼がこれから私たちに引き継がれる家の当時の所有者だった人です。

ストーン家は家主はJosiah W. Stone(ジョサイア・W・ストーン)、彼は1807年10月16日に生まれ、若い頃は父親の経営する農場で働き、その後に地元の荷馬車工場でその経営ノウハウを学んだ後、HomerからPhelpsという場所へ越し、そこで約3年ほど過ごしています。1835年2月、彼が28歳の時に最初の妻であるElizabeth.Ringer(エリザベス・リンガー、1816年生れ、当時19歳)と結婚、その結婚を期に再びHomerへ戻り、先の荷馬車ビジネスに参入します。その後は、誰にでもあるように、彼の日常にも様々なことがあったようで、再びHomerを離れてまた戻って来たり…。そうして、最終的には、彼は弟であるAlphonso(アルファンソ、1818−1885)と共に「Stone Borhter Co」という自身の鋳造工場の経営を始めます。実は、この辺りのことは、先の古い地図からも窺い知ることができました。なぜなら、Stoneの名前で彼と弟の家が隣り合わせで建っていて、さらにその近くには彼らの工場の位置までがはっきりと示されていたのです。

さて、ここでようやく、私が求めていた「家」にまつわる歴史に触れることになります。なんと不幸なことに彼の妻エリザベスが1857年1月21、41歳の若さで他界してしまうのです。が、この2年後の1859年2月2日、彼が52歳の時、Mary A. Lund(メアリー・A・ルンド、1824年生れ、当時35歳)と再婚しています。1862年、彼らのたった1人の子供であるMary E.(メアリー・E)が誕生。そうして、「1873年、Josiah は『優雅で、上品、広々とした家』を建てた」と、ローカル新聞記事にはあるのですが。ここで疑問が。そう、この家は、記録では「1836年に建てられた」とされています。現に、家の玄関脇には「C.1840」(注:CはCircaの略で「おおよそ」の意)の公式サインが掲げられているのです。新聞記事が間違っていたとは考えにくく、また計算ちがいの誤差といっても37年分にもなると、あり得ないでしょう。とすると、Mr.Stoneはそこにもともとあった家を改築あるいは増築したのか?ならば、Stoneの前にあの家を所有していた家族がいる???新たな歴史の謎の発見です。こうだから、古いモノに魅せられてしまうのです。そこに秘められたストーリーの、なんと神秘的なこと。

ところで、Mr.Stoneはごく敬虔なクリスチャンで、地元の教会の活動にかなり真剣に参加していたようです。最終的には教会をバックアップする組織のかなり上の方の地位にまでついたようで、1877年5月10日の彼の死は多くの人々に悼まれたようです。彼の一族のお墓はまだここ地元のHomerにあるので、ぜひ一度尋ねてみようかと思っています。今回の発見はほんの一部だけ。これからも、時間をかけて調べられるところまで、調べてみたいと考えています。