猫の一生には150万円必要 「迎える前に考えて」と猫シッター

世間は空前の猫ブーム。ところがその影に、猫との暮らしがうまくいかない人、老猫の介護に悩む人も増えているという。そこで、『猫の學校』(ポプラ社)の著者で、5万匹の猫をお世話してきたキャットシッター歴25年の「猫のプロ」、南里秀子さんにインタビュー。猫との暮らし、つき合い方、キャットフードの選び方、防災や引っ越し、病院の選び方や介護など役立つ猫知識が満載の同書から、不妊手術や介護、老猫の見送りについて聞いた。【全2回・後編】

──たとえ人間の食べ物でも、猫が「食べたい」と思う物は生きる力になると。実際、一般的に食べないと言われる物を好むこともあるそうですね。

 好物は十猫十色ですから、それぞれ違う個性をよく見て“感察”することが大切です。人間の食べ物は猫には毒とも言われますが、私は一緒に暮らす子がどんな食べ物に興味を持つのか、“感察”を楽しむようにしています。そして、「この子は焼き海苔が好きなのね」と好物を覚えておくんです。というのも、そうやって好物を探って増やしていくと、何かあったときにそれが生きる力になることを、今までにたくさん経験しているからです。病気や怪我などで弱った状態のとき、好物はそれを見るだけでむくっと起き上がる力になるんですよ。

 すごく極端な言い方をすれば、もし危険な物を食べたとしたら、その猫は野生では生き残れず自然淘汰されてしまうでしょう。ところが今は、なまじ人間側に余裕があって、医療も発達してキャットフードの栄養価も上がってきているから、本来なら野生で死んでしまうような猫もなんとか生かされてしまう、ちょっと歪んだ部分もあるんです。足の短いマンチカンなどもそうですが、人工的に変形させている弱い種を可愛いともてはやしたりするのも、歪みの1つだと思います。変形させた動物は弱いですから、医療費もかかりますし。あまり人間が自然に介入しすぎるのはいかがなものかと思っています。

◆「殺処分ゼロ」以前にやるべきことがある

──猫の一生にかかる費用を知っておくことも大事ですね。

 猫の平均寿命は15歳ですが、一生にかかる経費を計算すると、約150万円にもなります。この経費を払い続けられるかどうか、猫よりも先に寿命を迎える可能性、転職や結婚、出産、親の介護など、環境や状況が変わる時に猫との生活をどうするかということまで考えてほしいです。

 野良猫を家に入れて、お金がかかるからと不妊手術を受けさせないでいたら、あっという間に猫だらけになって家が崩壊したというニュースがありましたが、お金や不妊治療のことを正しく理解していないことが招いた悲劇です。「不妊手術は可哀想」では、結果的に全員が可哀想なことになってしまうんです。

 殺処分される6万7000匹の猫がもし人間だったらどうでしょうか? 殺処分は尻ぬぐいの部分ですから、殺処分する前にやることがあるんです。必要なのは命の教育と正しい知識。そこに気がついて社会全体で変えていかないと、殺処分はずっと続いてしまうと思います。

不妊手術は「可哀想」?

──不妊手術には賛否ありますが、するべきでしょうか?

 不妊手術について、今の日本の現状では、私は不妊手術をするべきだと思います。今は人と猫の距離がかなり近いですよね。子犬の殺処分の割合はどんどん減ってきているのに、子猫の殺処分の割合が60%でずっと横ばいなのは、猫を家に入れた人の認識が甘いことが原因ではないでしょうか。愛猫家も、わがままだったり気まぐれだったり、猫と同じような性格を持っている傾向があるんですね。そういう自由なところが裏目に出ると、生まれた子猫を捨ててしまったり、家を猫屋敷にして崩壊させてしまったりということになる。「可哀想だから」という感情論で続けてしまうと、そういう悪循環にはまってしまうんじゃないかと思います。

 犬と猫では、暮らす人にもそれぞれ違いがあって、犬と暮らす人は勉強好きで、本に書いてあることを素直にやろうとする。一方、猫の人は、本はやたら読むんだけど、自分がやりたくないことはやらない(笑)。そして自分のやり方に固執して続けるような、人の話を聞かない頑固なところがあるので、実は猫とつきあうのと同じくらいに大変な部分もあるんです。「猫ちゃん大好き!」と言うような人は大抵母性が勝りがち。父性的な社会のルールや理性でコントロールするべきところが弱いと、どうしても感情に流れてしまいがちになるんですね。

◆猫が健康でいるために

──ワクチンや健康診断など、人間と同じように猫の医療もサービスが拡大していることについてどう思いますか?

 それは本当に必要なのか、それとも病院の経営を手助けしているのかを考えてみることですね。世の中は経済で動いているので、猫ブームに乗じてお金を儲けようと狙っている業界はいっぱいありますから。検査をしたからといって、すぐに症状や病気が治るわけではないことに気がついていれば、「その検査は結構です」と言えますよね。動物病院に連れていけば治してもらえると考えないことです。本来、人も猫も自分で治ろうとする自然治癒力を持っているわけですから、まずはそれを使うべきでしょう。

 まず最初に、彼らの生きる力がいちばん尊重されるべきなのに、「ここの病院につれていけば」「薬を飲ませれば」としてしまいがちなんです。そのほうがわかりやすいし、効果が早く出ますからね。でもそれは、猫のためではなく、自分の心配を取り去りたいからではないでしょうか?「今やろうとしていることは私のためではないのか?」と、自分自身に問いかけられる人であれば、おそらく猫といい関係を持てているはずですし、猫が病気になることも少ないように思います。

──病院へ連れて行かないほうがいいんでしょうか?

 それは猫に聞いてみましょう。「行ったほうがいい?」って。猫は必要なときには薬も飲むし、キャリーケースにも自分で入ります。自分がしんどいときは、助けてほしいから人を使うんです。でも元気なときは「病院なんて行かな~い」って逃げ回るんですよ。

──猫のゴロゴロ音が、猫だけでなく人間の不調も快復させるとは驚きでした。

 ゴロゴロ音の周波数には、骨の成長や修復、筋肉の快復や、痛みを緩和させる働きがあるんです。私たちが死に向かうときやものすごい痛みを感じたとき、脳内から恐れや痛みを緩和するホルモンが出るそうです。動物はもともとそういう力を持っているんです。その力を使う前に、薬で抑えてしまうのはもったいないと思います。病院に連れて行くか行かないかではなくて、本当に必要かどうかを見極める。そのために、猫はどうしたいのかをよく“感察”することが大切なんです。

◆老猫とのつきあい方、送り方

──今、老猫の介護はキュアよりもケアへ傾いているとおっしゃっていますね。

 キュアは治療で、ケアは介護やお世話という意味。小手先の技術的な治療よりも命に寄り添うということが大事です。例えば、病気ではなく「老衰」で死んでいくというときは、もうどうしたって抗えません。長生きさせるのは、誰のためかということです。猫はおそらく、美味しいごはんは食べたいと思っているけど、長生きしたいなんて思っていないのではないでしょうか。死を恐れるのは人間だけで、彼らはそれを受け入れる。ところが、私たちはこの猫を失ったら「可哀想な私」になってしまいます。病院に連れて行くのもそうですが、どこかで「猫のため」と「自分のため」をすり替えているように感じます。

 猫が望むことは、猫と話し続けていたらわかると思います。「病院には行きたくない」とか「食べたくない」と、ちゃんと猫たちは伝えてくるので、それを受け止める。日頃から話して“感察”を続けていれば、見送るべき時もきっとわかります。

◆「ペットロス」ではなく、「さよなら、またね」

──最終章の福ちゃんの旅立ちには涙しました。どんなふうに最後を送ってあげたら猫たちは幸せでしょうか?

 それは猫によって違うと思います。引き留めず、その子がいきたいときにいかせてあげられる、さよならじゃなくて、向こう側に送り出す、そういう感じです。看取りというと、ちょっと上から目線になってしまうので、「いってらっしゃい、また会おうね」と向こう側に送り出せるような成熟度がこちらも必要になると思います。「いかないで」ではなく、「ありがとう、楽しかったよ、また会おうね、いってらっしゃい、おめでとう」って送り出せるのが素敵だと私は思います。

【南里秀子(なんり・ひでこ)】
1958年生まれ。1992年、猫専門のシッティングサービスを創業。猫の生涯保障部門を開始し、「猫の森」としてシッター育成や猫に関するセミナーを展開している。2009年に世界初、キャットシッターの視点から猫について解明する『猫の學校』セミナーをスタート。著書に『猫の森の猫たち』(幻冬舎文庫)『猫と暮らせば』(小学館文庫)『猫と人と古民家と』(幻冬舎)など。

野糞を続けて43年「奥さんよりウンコを選んだ」伊沢正名さんの信念 「汚物」に責任、「自然へ命を返す」

野糞を続けて43年。通算1万3千回以上も野糞を繰り返してきた伊沢正名さん(67)。「糞土師」を自称し、新著『「糞土思想」が地球を救う 葉っぱのぐそをはじめよう』(山と渓谷社)を出した伊沢さんに、野糞の神髄を聞きました。

スズメバチに刺され、ヒルに血を吸われても

 ――これまでにどれぐらい、野糞をしてきましたか。

 1万3760回です(4月13日現在)。1974年からなので、野糞歴は43年になります。完全に野糞だけで過ごした最長記録は、2000年6月1日から2013年の7月15日までの13年間。最後は都内でお腹を壊して駅のトイレを使い、連続記録が途絶えてしまいました。

 21世紀に入ってからトイレを使ったのは、その時も含めて3回だけだったんですが、2015年に舌ガンで入院して病室のトイレを6回使い、合計9回に増えちゃいました。お陰でガンはよくなりましたけど、さすがにこれから13年の記録を破るのは難しいでしょうね。

 ――自然のなかですから、危険な思いをしたこともあるのでは。

 クロスズメバチに刺されたり、ヒルに血を吸われたり。サルに石を投げられたこともあれば、イノシシが寄ってきたこともありますよ。マムシやハブ、ヒグマとニアミスしたこともありました。

 ――人間と遭遇したことはありますか。

 人間が一番危ない(笑)。できるだけ人目を避けるようにしていますが、それでも出くわしてしまうことはあります。敵とどうやって対決するか。先に気がついた方が勝ちなんです。だから、野糞は人が来そうな方を向いてします。背後から来られるとマズイので、後は藪とかで守ってね。

 見られるのは恥ずかしいけど、見る方だって恥ずかしい。人が来たら、近づいて見られる前に、こちらからあいさつしてしまうんです。「おーい、こんにちは!」って。そうすれば、「ウンコをしながらニコニコあいさつしてくるなんて、コイツは危ないヤツだ」ということで、立ち去ってくれる。心理作戦ですよ。ハハハ。

「仙人になりたい」と高校を中退

 ――野糞に目覚めるまでの歩みを教えてください。

 中学・高校と電車で通学していて、大人たちが会社の不満や上司の悪口、不正なんかについて話しているのを、車内でよく耳にしました。純真な青少年だったので、「大人の世界は何て汚いんだ」と人間不信に陥って。医者や営林署の職員を目指した時期もあったのですが、全部嫌になっちゃったんですね。人とのかかわりを断って山にこもろう、仙人になろうと思って、高校を中退しました。今から考えると、半分精神を病んでたんでしょうけど(笑)。

 ――野糞に対する第一印象は、あまりいいものではなかったとか。
 
 高校生の時、茨城の自宅の裏山に登ってゴミ掃除をしていたら、紙クズの下にあったウンコを触ってしまった。洗う水も何もないし、最悪でした。出しっぱなしで人に迷惑を掛けるのはよくないなと思って、自分が野糞するようになってからは、しっかり埋めるように心がけています。

住民運動のエゴに嫌気、キノコの力に魅せられて

 ――著書『くう・ねる・のぐそ』(山と渓谷社)によれば、1974年の1月1日に初めて野糞をしたと。キッカケは。

 屎尿処理場の建設に近隣住民が反対しているという新聞記事を読んで、住民運動のマイナス面を知ったことがひとつです。自分自身が自然保護運動をしていたこともあって、「自然を破壊するのは行政や企業で、それに対抗する住民運動の側は善なんだ」と思っていた。でも、自分のウンコを処理してもらう施設に対して、「臭くて汚いからイヤだ」というのは、結局エゴじゃないですか。

 ――そこから、なぜ野糞に?

 処理場建設には反対していなかったけど、トイレでウンコをしている点では自分も反対派の人たちと変わらない。誰かに迷惑を掛けて、処理場で始末してもらっているわけです。それなら、野糞をして菌類に分解してもらおう、キノコにやってもらえばいいじゃないかと。ちょうどその頃、『日本のきのこ』(山と渓谷社)という本で、動物の死骸やウンコを分解して土に返す菌類の役割を知り、菌類の働きを守ることこそが本当の自然保護になると学んだんです。

分解されない紙にショック、拭き方を改良

 ――当初は紙でお尻を拭いていたものの、いまは葉っぱを使っているそうですね。

 以前は当たり前のように紙で拭いていたのですが、1978年の第2次オイルショックの時に考えを改めました。トイレットペーパーが買い占められて、店から一斉になくなって。このぐらいのことでアタフタして、パニックになるような文化生活って何なんだと。だったら、なるべく紙は使わないようにしよう、と葉っぱで拭くようになったんです。

 それでも最後の仕上げだけは紙を使っていたのですが、1990年からはそれもやめました。キッカケは、自宅の裏山で野糞をした時に、掘り返した地面から紙が出てきたこと。何だろうと思ったら、自分が半年以上も前に野糞をした跡だった。ウンコも葉っぱも跡形もなく分解されているのに、紙だけは分解されずに残っていたんですね。

 ――そこで反省して。

 そうですね。偉そうに「自然のために」なんて言いながら、いったい自分は何をやっていたんだろう。分解しにくいゴミをバラまいてきただけじゃないかと。以降は基本的に紙を使わず、葉っぱで拭いた後に水で洗うようになりました。

高級ティッシュ超える肌触りの葉っぱも

 ――でも、葉っぱってザラザラしませんか。

 いい葉っぱは高級ティッシュペーパー以上の肌触りですよ。たとえば、ノウタケというキノコなんか、化粧用のパフよりも柔らかい。講演会で女性に触らせると、歓声があがりますね。「こんなに気持ちいいのでお尻拭くんですか! もったいない」って。

 チガヤはネコジャラシみたいな見た目ですが、シルクのような肌触りで吸着力もいい。フキは使い勝手はさほどでもありませんが、「拭き」が語源だとする説もあり、マタギがお尻を拭くために使ったとも言われています。

批判は覚悟 「ウンコで革命を起こす」

 ――野糞を続けることに対して、批判もあるのでは。

 結構ありますね。「ハエがたかるので汚い」とか。汚いのはハエよりも、自分が出したウンコ。ハエはウンコを分解してくれる昆虫で、むしろ感謝すべき存在なんですよ。

 野糞は軽犯罪法違反では?という指摘もあります。でも、軽犯罪法は街路や公園など、人が集まる場所での大小便や、タン・つばを吐くことを禁止しているだけです。もし逮捕されたら、ウンコ闘争・ウンコ裁判を貫きますよ。トイレは使わず、留置場にどんどんウンコをためていく。いけるところまでいくつもりです。

 「糞土思想」は現代の地動説。時代が追いついていないので、批判を受けることもあります。ガリレオも裁判にかけられた。私はウンコで革命を起こすつもりですから。

 ――そうは言っても、日本人全員が野糞を始めたら、大変なことになりませんか。
 
 大丈夫です。よく聞かれるので調べてみたら、「野糞は1箇所につき年に1回限り」という前提で計算すると、1日1回365日ウンコをするとして、必要な面積は1人あたり1アール。日本人全員だと1.2億アール(120万ヘクタール)です。これは日本の森林面積(2500万ヘクタール)の約20分1。高山帯や天然林など野糞に適さない土地を除外しても、余裕は十分にあります。

「一番つらかったのは、カミさんに逃げられたこと」

 ――家族から反対されたことは。
 
 この活動をしていて一番つらかったのは、カミさんに逃げられたこと。野糞自体の趣旨は理解してくれていたのですが、私が良識派とか人権派の人たちまで敵に回して批判するものだから、ついていけなくなったようです。5年ほど前に離婚して、いまは独り身ですね。

 ――伊沢さんの主義主張とご家族と、どちらを選ぶのかというところで、奥さんを優先する選択肢もあったのでは。

 そうすると、ウンコ闘争をやめるしかない。それはできませんよね。

 ――奥さんよりもウンコを選んだと。

 極端な言い方をすれば、そうなっちゃいますね(笑)。

 なぜそうまでして人権派を批判するのかというと、そもそも「人権」って傲慢だと思うんですね。人権派は人間のことしか考えていない。しかも正義感を持っているでしょう。そこが嫌なんです。もっと自然やほかの生き物に対して謙虚にならないといけない。単に野糞を広めるだけでなく、ウンコを元に人間の傲慢な生き方を改めよう、ということなんです。

「ウンコはごちそう」 そのココロは…

 ――改めて聞きますが、トイレじゃダメなんですか。

 本来ウンコっていうのは、次の生き物の命のもとになっているんです。

 人間は肉・魚、穀物・野菜・果物といった、命ある「生き物」を食べてウンコをする。そして、人間のウンコを獣や菌類が食べる。菌類はウンコを無機物に分解して、空気中に二酸化炭素を放出します。いわば菌類のウンコですね。そうしてできた土の栄養を植物が根から吸い、光合成で酸素をつくりだす。酸素は植物のウンコとも言えるわけです。

 自分のウンコは次の生き物のごちそう。みんな、ほかの生き物のウンコを食べている。ウンコによって命がつながっているんです。

 トイレでするということは、ウンコを生き物の世界から追い出しちゃってるわけですよね。下水処理し、焼却して灰にして、セメントにする。ウンコを燃やすために、重油天然ガスなどの資源も無駄遣いすることになります。それで自然との共生なんて言っても、空念仏ですよ。

 ――伊沢さんの説く「糞土思想」の神髄は。

 「食は権利、ウンコは責任、野糞は命の返し方」「ウンコに向き合うことは、自分自身の生きる責任に向き合うこと」。この二つが、糞土思想の基本です。

 人間には動植物の命を奪った責任、おいしいごちそうから汚物をつくりだした責任がある。ウンコは責任のかたまりなんです。では責任をとるために、どうしたらいいか。野糞という方法で自然に命を返し、汚いウンコをキレイにしよう、というのが糞土思想です。

ウンコのタブーを破りたい

 ――最後に、今後の抱負をお聞かせください。

 ウンコに対していまだに偏見やタブーがあるので、これを変えていきたい。タブーというのは、都合の悪いことを覆い隠す卑怯な手です。ウンコをタブーの世界に押し込めて、見ない・見えないようにして…。でも「ないこと」にしてしまうのは、責任逃れじゃないかと思うんです。タブーをどんどん暴いて、物事の本質をハッキリさせないといけません。

 そのためにも、これからは教育に力を入れていきたいですね。教育にウンコの問題を持ち込んで、啓蒙活動をしていけたらと思っています。

 〈いざわ・まさな〉 1950年、茨城県桜川市生まれ。県立水戸第一高校を中退。75年にキノコ写真家に。74年から野糞を始め、90年には紙を使わず葉っぱと水で処理する現在の方法を確立した。著書に『葉っぱのぐそをはじめよう』『くう・ねる・のぐそ』(いずれも山と渓谷社)、『うんこはごちそう』(農山漁村文化協会)など。

「新しいナンバープレート」の巻

ナンバープレートを破損してしまったので、こういう場合は自己負担で新しいのに取り替えてもらわくてはならないのか、と、地元で警察官をしている友人に尋ねたところ、「DMV(免許交付所)に行って手続きすれば、新しいプレートをタダでくれるはず」というので早速出向いた。

 

オフィスで書類を記入すると、2種類のスクリュードライバーを渡されて「これで古いのを車からはずしてきてください」とのこと。 パーキングに戻って、ボロボロになったそれをようやく車からはずしてから、またオフィスに戻る道なりにずっと考えていたことは。

 

一体、あのオフィスのどこで、その場ですぐに新しいナンバープレートを作ってくれるんだろう。ナンバーを金属のプレートに打ち込める機械でも置いてあるんだろうか。そもそもナンバープレートなんて、どうやって作るんだろう。わくわくだなぁ、とか考えていた。

 

そして、窓口でお姉さんに貸してもらったスクリュードライバーと共に、ボロボロのナンバープレートを手渡した、すると。お姉さんが、自分が座っている机の引き出しを、ガラガラっと開けた。 そして、2枚のまっさらなナンバープレートを取り出して、「はい、これね」と手渡してくれた。

 

え。そういうことだったの? 「新しいナンバープレート」ってのは、プレートだけじゃなくて、ナンバー自体も新しくなるってことだったの? がっくーん。 私はてっきり同じ番号で、プレートだけが新しくしてもらえるんだとばっかり思っていたよ。

 

しかも。ナンバープレートが、普通のオフィスの机の引き出しに保管されていた、ってのも、なんだか衝撃的だったなぁ。 もしかして、みんな結構 普通に新しいナンバープレートをもらいにくるんだろう、という気がしてきた。自分のナンバーに気持ちの入れ込み?とかなさそうだもんな、この国の人達。

 

毎日車に乗るくせに、車のナンバーをちゃんと記憶しておくってなことは、実は日常生活ではあまり必要なくって、私もたまに聞かれると「う~ん、なんだったっけな?」とか思っちゃう有様が長く続いていたけれど、さすがに20年近くたって、やっと丸暗記できた番号だったのにな。

 

また、新しいのを覚えなくちゃいけないのは、なんだか億劫だ。

乙武洋匡「自分をようやく理解してもらえた」

乙武洋匡。22歳で上梓した著書『五体不満足』は累計発行数約480万部の出版史に残る大ヒットロングセラー。多様性のある社会の実現を提唱する中にも鋭くユーモアに満ちた発言を続け、ツイッターフォロワーは84万人を超える。自身が抱える障害と同じ「重度さ」で機知に満ちた風刺を操る知性の持ち主であり、政治からエロスまで等分の熱量で語れる論者として、長きにわたる活躍を見せてきた。だが、昨年の不倫騒動で彼は一度地に落ち、泥にまみれた。世間から彼に投げつけられた最も下劣な言葉は「障害者のくせに不倫なんかしやがって」。老若男女に据わりのいい「頑張り屋さんの乙武くん」ではない。
そんな乙武氏が再び世間へカムバックしつつある。一連の騒動で彼は何を感じ、いま何を思うのか。広くウェブ界隈の仕掛け人であり、今の日本社会の表裏をクールに見る視線と見識を持つ中川淳一郎氏との対談が実現した。(対談司会:河崎 環)

■「清廉潔白で頑張り屋」のイメージに苦しんだ

 河崎環(以下、河崎):乙武さんと中川さんは昨年末に初めて顔を合わせられたと伺いました。

 中川淳一郎(以下、中川):以前、ツイッター乙武さんの多様性議論にかみついたんですよ。「弱者を尊重とか言うなら俺のようなアル中も認めろ」なんて、どう考えても言いがかりをつけただけなんですけれども。でも乙武さんは誠実に対応してくれて。

 河崎:ネット社会には「弱者マウンティング」と呼ばれる現象が起きていますね。「より俺のほうが社会的に弱く不利な状況にある、俺のほうがひどい人生を送っているんだ」とマウントを取り合う。弱者という言葉が、水戸黄門の印籠のように有効なんですよね。

 乙武さんは重度の障害を負っているにもかかわらず、みんなが想像しがちな弱者でも聖人君子でもないよ、同情なんかしないでよ、というスタンス。中川さんは、どういうふうに今までご覧になっていました? 

そこらの健常者の男よりもよっぽど勝ち組

 中川:480万部(『五体不満足』)かよ、うらやましいぜ、って。日本人でこれを上回るのは、『窓ぎわのトットちゃん』の黒柳徹子さん(約580万部)、『道をひらく』の松下幸之助さん(約520万部)しかいない。だから、別に弱者うんぬん以前に物書きとしてすごい人だって認識だったんですよ。すごい著者、しかもイケメン。もし、乙武さんがあの本をあそこまで売ってなかったら、別の見方をしてたかもしれないけれど。

 河崎:乙武さんはスペックが高いし、おカネも仕事も家族もすべてを持っている。そこらの健常者の男よりもよっぽど勝ち組。だから不倫を報じた「新潮砲」がさく裂したときにも、私は乙武さんを強者として認識していました。

 中川:あのときって、たたく論調は不倫だっていうことだけですよね。

24時間テレビ的な勝手な文脈で

 河崎:そうそう。あとはやっぱり、あの乙武さんがそういうことをするんだって、老若男女がショックを受けたんですよね。

 中川:それは「障害者は清廉潔白たれ」みたいな、24時間テレビ的な勝手な文脈。乙武さんは自分に向かってイメージを押し付けるような社会の目があるとは感じますか。

 乙武洋匡(以下、乙武):「聖人君子」の仮面には、この18年間ずっと苦しめられてきました。22歳、大学3年生のときに『五体不満足』が出版されて。本の内容は、わりと面白おかしく書いたつもりなのに、やっぱり障害者であるということが前面に出たことで、非常に清廉潔白な聖人君子、というようなイメージを持たれてしまった。でも、自分がそんなたいそうな人間でないことは、自分がいちばんよくわかっているわけです。

 メディアに出るたびに、おちゃらけてみたり、下ネタをぶっこんでみたりと、わりと露悪的に振る舞い続けたんですね。ところが、実際に放送された番組であったり、掲載された記事であったりを見てみると、そういったところはバッサリとカットされている。そんなことが何年も続くうちに、「あ、求められてないんだな」と。自分の多面的で立体的な姿っていうのは必要とされておらず、自分がいいこと言っているところ、頑張ってるところ、そういうところを平面的に切り取られて、そこだけが必要とされているんだなと。それが何年も続くうちに、やっぱり自分の中でも、摩耗してきてしまった部分というか、あきらめに近い気持ちが出てきてしまったんですよね。

 そこで勝手に自分の中で、オン・オフできるスイッチをつくっていくようになった。「じゃあもうわかったよ。皆が求める乙武さん、ちゃんと演じるよ」と覚悟を決める一方で、本来の自分の弱さ、だらしなさという部分がプライベートに凝縮されてしまった。「公では頑張ってるんだから……」とどこかで自分を甘やかしてしまっていた部分もあったかもしれません。

身内から批判が来る

 乙武:私としては、世間から「メッキが剝がれた」と批判される前に、必死になって「これはメッキですよ」とアピールしてきたつもりなのですが、結局、その言葉は誰にも届いていなかった。失った信頼は取り返しがつかないほど大きなものだという自覚はありますが、心のどこかでホッとしている自分がいるのも否めない。これで、ようやく自分が大した人間ではないことがわかっていただけた、と。

■「余計なことしやがって」

 中川:今のメディアとか世間というのは、乙武さんにとっていわば「外側の人」で、「内側」ともいえる存在とは、たぶん障害者の人たちだと思うんです。今、「Abema TIMES」っていうニュースサイトの編集に携わっているんですが、そこでゲイのライターに、「LGBTについて毎週書いてほしい」とお願いしたんです。二丁目の事情とか、同性カップル事情とか。そうしたら毎回記事が炎上するんですよ。炎上させる人って、全員LGBTの人。つまり身内から批判が来るんですね。あるときは、あまりのクレームに記事を落とさざるをえなかったほど。こういった、内なる人からの乙武さんへのバッシングはありましたか。

 乙武:『五体不満足』が出た当初、すごく驚かされたのが、まさに障害当事者やご家族からのバッシングだったんですね。私自身としては、別に障害者のためにという強い思いであの本を書いたわけではなかったんですが。結果として、あの本が多くの人に読まれることで、障害者を取り巻く環境や、世間の障害者に対する見方っていうものが変わったらいいな、というぐらいの気持ちは持っていました。

 中川:たとえば小人プロレスっていうのがありますが、あれを「差別だ!」と糾弾するのは違うんじゃないか、というのが乙武さんの考えということですよね。

 乙武:まさにそうです。出版した当時はまだ甘ちゃんの22歳の若造ですから、あの本の内容で、誰かから批判を受けるなんていう想定は1ミリもしてなかった。ところが出版されてみたら、思いのほか障害当事者やご家族からバッシングが相次いで。多くあった声としては、「あなたは、たまたま恵まれていただけだ」というもの。

 中川:「恵まれているだけ」っていうのは、容姿や、頭脳や、家庭環境ですか。

 乙武:主に家庭環境ですね。やはり、障害を否定されず、親から肯定的に育てられたことが大きい、と。あとは、「お前が登場したことによって、『乙武さんだって、あんなに頑張ってるんだから、あなたも頑張れるはず』と、お前と同様の頑張りを強要されるようになった。どうしてくれるんだ」っていう。

 中川:なんかツイッターみたいですね。

 乙武:結構それは衝撃でした。さっきもお話ししたように、「彼らのために」という思いがあったわけではないものの、なんとなく障害者にプラスになったらいいなぐらいの気持ちはあったので、まさかその方々から批判されるとは、夢にも思っていなかった。本当に、真後ろからやりが飛んできたみたいな気持ちでした。でも、結局それは、18年間変わることがなかった。もちろん、同じく障害当事者やそのご家族から「勇気をもらえた」「乙武さんは障害者にとって希望の星です」というありがたいお言葉も多く頂戴しましたが、その一方で私に対する批判の急先鋒が、基本的には障害者であり続けたというのも、否定できない事実ですね。

嫌な話し方

 中川:そうなんですね。会社でよく聞く、すごく嫌いな言葉に「お前、東大卒のくせに使えないな」というのがあるんですが、東大卒の子は超絶仕事ができるっていう前提で、「自分は東大入れなかったけど、俺のほうがよっぽど仕事ができるんだからな、バーカ」って言ってる感じがするんですよ。今の乙武さんの話につながる、嫌な話し方だと思います。

■余裕を失った社会に蔓延する自己責任論

 乙武:だから自分は、カテゴライズされることに対して、やっぱり強烈な反発心というものがあるんです。本が出るまでも、「障害者だからこうだよね」と思われる風潮っていうのが、とにかく窮屈で。『五体不満足』という本を書いた最大の理由がそこなんですよ。そこで、「そんなこともないよ。皆さんが思っている障害者像って『不幸』で『かわいそう』かもしれないけれども、私みたいに幸せに生きている人間もいることは知ってくださいね」というつもりで、書かせていただいた。ただ今度は、そういうつもりで出した『五体不満足』が、思いのほか多くの方に読まれすぎてしまったことで、逆に今度、皆さんの障害者のイメージが「乙武さん」になってしまったんですよね。

 中川:そういうベストセラー本を出す力もない人からすると、「せっかく俺は弱者としてみんなに優しくしてもらえてたのに、余計なことをしやがって」みたいな反応が出るわけですね。

 乙武:おっしゃるとおりです。世の中に、まだまだ障害者まわりで、改善しなければいけない問題というのは、たくさんあったはずなのに、私が「僕は生きてて、ハッピーだよ」というメッセージを強烈に発信しすぎたために、「あ、障害者の方も幸せに生きてるんだ、こんなに楽しそうに人生送れてるんだ。じゃ、それでOKだね」となる風潮が、やっぱり許せなかった人が多くいたと思います。

 中川:2005年ぐらいからずっとはびこっている自己責任論に近くなっちゃう話ですよね。

 乙武:意図せず、私がそこに加担してしまった部分はあるかもしれません。しかし、なぜ私たちはこうも他者をカテゴライズして判断をしてしまうのでしょう。「AならA」というふうに見られていたところ、たまたま私が「Bだよ」と提示したら、もうBとしか見なくなる。健常者にもいろいろな人がいるように、障害者にだってAがいて、Bがいて、いろいろな人がいるはずなのに、なぜ「障害者とはこういう人たち」とくくりたがるのかな、と。

 今回の騒動でも、それをすごく感じました。今までは、私のいい部分だけしか見てもらえなくって、「いや、こんなひどい面もあるんですよ」と盛んにアピールしていても、そっちはまったくスルーされて。「いやいや、乙武さん。そんな謙遜して」と、いいところしか取り上げられなかった。ところが、いったん黒い部分が表出すると、今まで言っていたことは、逆にまったくスルーされて、「あいつは最低、最悪の人間だ」となる。確かに私がしたことは最低かもしれませんが、あそこまで「白」扱いされてきた人間が、ここまで「黒」扱いしかされなくなると、世間の評判っていい加減なものだなと苦笑せざるをえない。

社会の不寛容さが増してきているから

 乙武:まあ、そんな小難しい話ではなく、私が発言する内容、私の存在そのものがすごく窮屈に思えたり、圧のように感じられたりという人が、「今だ!」とばかりにバッシングに回ったというだけの話かもしれませんけどね(笑)。

■「弱者マウンティング」へのすり替え

 中川:2013年に、銀座のイタリアンレストランで乙武さんが入店拒否されたことに憤慨して、ツイッターで批判したことが世の中を巻き込む騒動になったことがありましたが、その頃からですか。

 乙武:そうですね。

 中川:たぶん、あのとき初めて、乙武さんバッシングをやっていいという動きが出た。あのときって「障害者だったら、健常者が手助けして当たり前っていうふうに思っているんだろう」みたいな論調でしたよね。どう思いました? 

 乙武:文脈を踏まえずに、タイトルや表層的な部分だけで物事を論じる人が、いかに多いかということを実感させられました。私自身は、「車いすで入店できなかった」という事実のみに腹を立てたわけではなくて。たとえば、あのときの店主の物言いが、「いや、うちの店は、これこれこういう状況なので、申し訳ないけれども、また改めて食べに来ていただくことはできませんか」というような物言いだったら、「そうですよね。こちらも申し訳なかった。突然来ちゃって。またお伺いしますね」と、お互い気持ちよく終われていたと思うんです。

 ところが、本当にぶっきらぼうな物言いで、「いや、うちはこういうスタンスなんでね」といかにも迷惑そうな態度で言われたので、「接客業として、それはないんじゃないの?」と感情を害したんですね。それは、車いすうんぬんみたいな話にすり替えられて、双方にバッシングの矛先が向いてしまった。私の感情的で大人げない書き方にも問題があったと反省していますが、もうちょっと丁寧に読んでほしかったなという思いもあります。

 中川:違和感があったのは、あの件についてツイッター乙武さんをたたいている人たちが「強者・弱者論」に執着していたことです。乙武さんがその強者とされる理由は、乙武さんにツイッターフォロワーが多いってだけなんです。あのイタリア料理店の店主のツイッターフォロワーは、たぶん数百しかいない。でも、乙武さんは数十万。「フォロワーが多い、影響力のある強者が、いたいけなイタリア料理店の店主を恫喝(どうかつ)した」って話になっちゃったんですね。ただの客と店の話にならず、いかに弱者ポジションをとるかという問題にすり替えられた。

 乙武:そうですね。確かに、弱者というポジションをとると、以前は同情してもらえたり、優遇されたり、言葉は悪いですけれども、特典みたいなものが漏れなく付いてきた時代だったのかもしれない。私は、もう今の時代は、弱者ポジションをとっても損をすることが多い時代に突入してきたと思います。

自分よりも弱いものをたたくことで…

 乙武:理由は、今ものすごく社会の不寛容さが増してきているように思うからです。たとえば、バブル期のように経済が潤っていて、一人ひとりの生活に余裕があった時代というのは、人間は良心がくすぐられる瞬間って気持ちがいいものなので、弱者に対して施しをし、優しい行為をしてあげたっていうのは、なんだかんだ気持ちがいいわけですよね。だから、弱者ポジションをとる人も、それなりの恩恵にあずかれたと思うんです。ところが今は、おのおの経済的にも苦しい時代になってきて、他人に対して寛容になる余裕がない。となると、逆に弱者に対しては厳しい時代。弱者のほうがたたきやすい時代になってきていると思うんですよね。

 中川:それが、おそらく生活保護たたきへもつながってくる話ですね。

 乙武:おっしゃるとおりです。実際に生活保護を受けてらっしゃる方の中で、不正受給をしている方の割合というのは、0.4%にしか満たないというデータが出ている。1000人のうち4人です。その割合を、さも結構なボリュームでそういう人がいるかのようにたたく風潮というのは、やっぱり自分よりも弱いものをたたくことで溜飲を下げているのだと。もっと言えば、「俺らだって、こんなに頑張ってこの窮状なのに、なんで俺らよりも働いてないやつがいい目にあうんだ」という思いが渦巻いているんだと思うんです。

 だから、昔はある程度、弱者ポジションをとれば、それなりに心地いい思いができた。でも今は、そんなことしてもあまり得はないんじゃないのかな。また「お前は強者だから」と批判を浴びることを覚悟で言いますが、自分がある程度の弱者であるという自覚があったとしても、それで同情を引こうとしたり、弱者であることで何か恩恵にあずかろうとしたりするよりは、「そんな自分でも、できることはないか」と考える姿勢をつねに持っておくほうが、結局は得することのほうが多いような気はします。

 中川:その姿勢を持ったうえで、その弱い人を、ちゃんと助けなくちゃいけないと思います。それこそ、生活保護を受けている人って、だいたい高齢者なんですよね。でも、体が動かないから、働けないというだけの話で。では反論を封じ込めるにはどうすべきかというときに、最低賃金生活保護より上げるっていう話になってくるわけですよ。たとえば、1日8時間アルバイトして、それで月に22日働いたときに、間違いなく生活保護で支給される金額よりも上だという状況を、つくらなければならない。これは政策の話なのに、受給している個人たたきになってしまうのはおかしい。

 乙武:理想論でいえば、「想像力を持ちましょう」と。まさに中川さんが指摘された自己責任論が蔓延している今の社会です。じゃ、なんでその人はできないのか。なんでその人は、今その状況に追い込まれてしまったのか。個々の文脈を丁寧に追っていけば、「ああ、それは仕方がないかもね」「そりゃ、頑張れないよね」という状況が、本来は見えてくるはずなんです。

 だから、そういう弱い立場の人が、一人ひとり、なぜ今弱い立場にいるのか、いざるをえないのか、そこに対する想像力を働かせるしかない。ただ、世の中はそう簡単に理想がまかり通らないので、まずは中川さんがおっしゃったように、制度設計によって、そういった声が出にくくなるようにしていくことが最適解なのだろうと。

■ネットたたきの当事者たちとは誰なのか

 河崎:先ほど乙武さんがおっしゃった「僕の存在そのものが窮屈だったりとか、圧のように感じていたりする人たち」は確実にいる。必ずしも障害がある方々の中から出てくるのではなくて、健常者側にも、そういう人たちは多いと思うんです。経済状況がなんであれ、政治的なバックグラウンドがなんであれ、乙武さんという存在それ自体に窮屈さを感じる人々ですよね。その人たちは、たぶんそれこそ相手が強者であろうと、弱者であろうと、とにかく自分の鬱屈であるとか、社会的な不満であるとかをぶつける人たちじゃないかな。今、中川さんがおっしゃったような、弱者であっても強者であってもたたく人たち。ネット上にいる、非常に鬱屈した何かを持っている人たちの心理が知りたい。

見下していたものが強者になった違和感

 乙武:私があれだけネットでたたかれる理由と、はるかぜちゃんがたたかれる理由って、結構近いのかなと思っています。共に、もともと人々が無意識的に「自分より下」だと見ていたはずの存在なんです。

 中川:そうか、彼女がツイッターを始めたときって、まだ11歳とか、もっと小さかったのかもしれない。

 乙武:はい。小学生が自分よりも頭が切れて、正論を言うって、たぶんある程度自分に余裕があったり、自己肯定感があったりする方は、「あ、すごい利発なお子さんがいるな。優秀な小学生がいるんだな」と肯定的にとらえられると思うんですよ。ところが、自分自身に余裕がなかったり、自己肯定感がなかったりすると、たぶんそれが「むかつく、偉そう、生意気」と映るんだと思うんです。

 それと同じで、障害者というのは、今までの社会では、弱者であり、自分よりも下の存在であり、保護されるべき存在だったわけですよね。その人間が、著名になり、影響力や発言力を持つ存在になる。見下していたものが強者になった違和感や戸惑いみたいなものが、「むかつく、生意気だ」との気持ちにさせる。だからこそ、そいつがこけたことで、「しめた!  ここだ!」と一気に反攻に回った部分もあるのかなと。

 中川:蓮舫さんの二重国籍の話があそこまでたたかれたのも、同じ構図なんですかね。台湾から帰化した結果、国籍が両方あったという話です。ただ、ネットの一部の人は、「民進党っていうのは、中華に日本を売ろうとしている売国政党だ」みたいな言い方があって。そこについに帰化軸が入ってしまった時点で、なんか見下した視線が生まれた。

 乙武:蓮舫さんの場合は、やっぱり政治的、思想的な問題が加わってしまうので、ちょっと、はるかぜちゃんや私の文脈とは、異なる部分もあるかもしれない。でも根本的な問題でいうと、そもそも蓮舫さんは「女性」であるという部分が大きいのかなと。

 中川:そうか、そうか。

 乙武:男性は女性の立場を下に見ていた時代が、長く続いていたと思うんですよね。だから、蓮舫さんのように切れ味鋭く、強い物言いをする女性は生意気だと思われる風潮が、まだこの平成になった世の中でも、あると思うんですよ。でも、今回の騒動までは彼女の言うことがわりと正論だと感じる人が多かったからこそ、生意気だと思いながらも、なかなか反論できずにいた。だからこそ、ほころびを見つけたときに、「しめた、今だ」というのが、一気に吹き出たのかなと。

■「障害者のくせに不倫なんかしやがって」

 中川:だから、今のはるかぜちゃんや乙武さんの話でいうと、それを的確に表すのはジャイアンの言葉かなと。「あいつ、のび太のくせに生意気だ」っていう、あの威圧感。やっぱり藤子不二雄さんって、いろいろ本質を突く人だなと思うんですよ。

 (一同笑う)

 乙武:まさに今の「のび太のくせに生意気だ」の写しのような批判が、ツイッターにも多く寄せられましたよ。「障害者のくせに不倫なんかしやがって」って。

 河崎:いかに差別意識が人々の根底に流れているのかを感じますね。

東洋経済オンライン 3/1(水)

 

Park City in Utah

高級スキーリゾートで知られる ユタ州のパークシティと言うとところへ来ています。

冬のオリンピックが開かれた場所でもあり、また サンダンス映画祭が開催されることでも有名です。

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到着した日とその次の日は晴れていました。ニューヨークよりも ずっと暖かいので驚きました。

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どこを走っても すぐまじかに 山があると言うのが いいなぁ〜

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3日目から どっかり雪が降り 辺りは真っ白に。

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そう言えば 標高が高いので ちょっと動くだけで 息切れがしたりします。

調べてみたら、2286mとか。

チップスの袋もはち切れんばかり。

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滞在しているお家は 木と石のインテリア。裏庭から スキーを履いて出て スキーを楽しめる立地です。

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さて、このドアは なんでしょう?

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正解は、エレベーターでした。お家が4階建で、玄関が一階、キッチンとリビングが4階にあるんです。ちなみに 雪山へは この4階から出ます。

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ディナーのお寿司のテイクアウト

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ワインもたっぷり

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来る時の飛行機から 隣を飛んでる飛行機が見えました。

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滞在は一週間です。

REFA CARAT

自分へご褒美。

買っちゃった。

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ReFa Carrat

説明の必要はありませんね。

これ、ネットでは、安く売ってるところもあるんです。
でもね、偽物も多いんですって。
そして、その見分けは見た目では難しいらしい。
(詳細はこちらをどうぞ)

で、このマークのあるお店が正規認定店らしいよ。

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毎日、時間を見つけて、コロコロやってますが、はて、その効果のほどは???